chayarokurokuroの雑記ブログ

読書記録、書評、歴史(九州倭国説)など

穂積押山=筑紫君磐井or継体?

百済本記』に委意斯移麻岐彌という人物が出てくるという。これを通説では穂積押山のことだとしている。
穂積押山 Wikipedia
いわゆる任那日本府の割譲問題で百済に返還を要求された土地の一部の国守とされている人物。姓は臣。奥さんが蘇我韓子の娘。母親は尾治臣なにがしの娘。尾治は尾張のことらしい。
岡山県神社庁
尾治針名真若比咩神社|岡山県神社検索|岡山県神社庁



話を戻して、百済本記に載っていて穂積押山のことだとされている「委意斯移麻岐彌」を普通に読むと「いいしいまきみ」。
「委」は漢委奴国王の委で倭国のことと解釈して、残りの「意斯移麻岐彌」を人名だとし、「いしいまきみ」と日本語的に読めば「石井麻君」とか「石今君」とかかな。素人目には押山と読むにはちょっと無理がある気がする。
最初の「委意」を「穢ワイ」などと読むとしたなら、その後の「斯移麻岐彌」は「しいまきみ」か。頑張って「嶋君」と読んで、 百済王の武寧か、蘇我馬子ですか。馬子はもう少し後の産まれなので違うか。武寧王は十分可能性あるな。

さきの「石井麻君」か「石今君」と読む場合を考えてみる。
「石井麻」=筑紫君磐井のことと勘違いできる。なんか薩夜麻っぽくて似てるし。更に磐井=穂積押山だと勘違いすると、磐井は尾張氏と親戚。蘇我氏が嫁の実家。剣と高句麗的石加工・装飾技術を持っているのでこれもまあまあ行けそう。

「石今君」と読むと、誰でしょう。ひっくり返して「今石君」。石で城を造るので「今城君」。今城塚の大将、継体。今来東人。任那出身者を責任者にして割譲問題を解決しようとした路線で。



人様のご先祖さまをオモチャにして罰が当たるぞ。