chayarokurokuroの雑記ブログ

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大分の速見の土蜘蛛「青」と讃

景行紀
大分速見の土蜘蛛の名の「青」や「白」は粘土のことか?
別府で採れる青粘土(モンモリロナイト)白粘土(カオリナイトカオリン)

【装飾古墳の塗料と色】

  • 赤 : ベンガラ(酸化鉄)
  • 黒 : マンガン(丹が採れる所に大体ある)
  • 白 : 白土(カオリナイト、またはハロイサイト)
  • 緑 : セラドナイト、海緑石
  • 黄 : 黄土



雄略の側近に身狭青(むさのあお)という渡来系の人物がいる。姓は村主。
奈良県橿原市見瀬町字庄屋垣内(大和国高市郡)にある牟佐坐神社(ムサニマス・じんじゃ)は身狭青ゆかり。身狭氏という渡来系氏族がいたとある身狭青 - Wikipedia
身狭桃花鳥とかミソサザイとかミサンザイとかのミサ、ミソは同じものかな。

仁徳=大鷦鷯は福岡宇美生まれの応神の子。母は仲媛(なかつ)、応神の父は仲哀でこちらもナカツ。大分県中津の何か。皇后は葛城磐乃媛で息子の允恭の妻と同じ。近親相姦か。

身狭の「さ」は佐伯で佐藤の佐で、卑弥呼が外交官として247年に帯方郡に送った佐伯鳥越みたいな名前の載斯烏越大分県民なんじゃないか。鳥越俊太郎は久留米で近いし鳥越憲三郎は岡山で九州と直弧文繋がり。



倭の五王の一番最初の「讃」は、倭王「武」を雄略として遡って仁徳と比定することが多いようだが、「讃」は讃岐の讃とすると、香川、佐伯真魚の佐伯氏とリンク。
讃岐・淡路島・阿波で、塩・鉄・辰砂。倭の王になるに相応しい場所を押さえて居たと考えていいかな。