chayarokurokuroの雑記ブログ

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古田武彦『歴史への探求1 俾弥呼の真実』ミネルヴァ書房

2013年3月10日初版。
古田史学の会編『邪馬壹国の歴史学』ミネルヴァ書房 - chayarokurokuroの読書ブログに引き続き、また古田武彦
九州王朝説論者の著者が1999~2012年にかけて発表した断片的論考を、テーマ毎に編集した本。
学術論文のように安定した文体で一気に書きあげたような物ではないため、項目毎に集中力が途切れてしまうのは少々残念だが、一般的に日本古代史を語る文脈であまり出てこないキーワードや、定説を否定する論が変化球でバンバン飛んで来て面白い。
タイトルが「俾弥呼(ひみか)の真実」となっているが、卑弥呼については本書の3分の1を占めるのみ。

気になった点をいくつか。

古田は邪馬壹国が博多湾岸にあったとしている。出土品が他を圧倒して豪華過ぎるからというのが主な理由。ここでは糸島の一貴銚子塚古墳から出土の黄金メッキされた後漢鏡に注目。単なる地方豪族ならこんな物を持っている筈がないという。九州→奈良遷都の記録も中国正史に出てこない。
体制が変わったかなと個人的に思えるのは旧・新唐書倭国に対する大倭国(日本国)が登場する辺りですかね。

筑紫の正倉院
福岡県久留米の浮羽にむかし本家本元の「正倉院」があったのだという。
久留米市史、第七巻、資料編 古代・中世』(1992年6月30日)の488ページに生葉郡」「正倉院と地名が載っていると。
現在の正倉院にある資料、「寧楽遺文」正倉院文書」中にある筑後国正税帳」には異例の「貢献物」が記載されているという。時は天平10年(738年)、おびただしい数の最高峰のお宝がザクザクと筑後から奈良に移されているのだが、それを保管していたのが浮羽の正倉院だったのではないかと。ですから現在の正倉院は、第二の正倉院
余談だが浮羽(うきは)は武内宿禰の子の的臣のこと。生葉も同じ。地名の表記違い。この辺に羽白熊鷲という土蜘蛛がいたと景行紀にある。そのせいか、日帝時代に日本最大の航空部隊「太刀洗陸軍飛行場」があり特攻隊が出撃した。
筑後人は「ちっちゃな頃から悪ガキ」に育てられ、ヤクザか自衛官になるかのが優先的に確保されている。
ところで、羽白熊鷲ってヤマトタケルっぽくない?



少名彦名
古田は少名彦名(すくなひこな)を博多湾岸の王者だとしている。彦(ひこ)は倭人伝にあるように長官の役職名なので豪族の長だとする。福岡県春日市「須玖岡本遺跡」のスク繋がり。
武内宿禰スクスクネもこれかな。宿禰は王の側近。



ちはやぶる
志賀島の金印の解釈で、 「万葉集 第七、1230」

ちはやぶる金の岬を過ぎぬともわれは忘れじ志賀の皇神

が引用されている。本来は

千磐破 金之三崎乎 過鞆 吾者不忘 壯鹿之須売神

と書く。
素人的にこの歌は、 「磐」を「破」って「金」と「鞆」が来て、「鹿の皇神を忘れません」と来れば、もうこれは大伴金村が筑紫君磐井を討ったとされる「磐井の乱」のことを言っているんだろうと個人的に思うのだが…
蛇足で、ちはやぶる繋がり、福岡県出身の女性マンガ家の末次さん。長崎在住の私としては、末次さんと来れば江戸時代に長崎で貿易を営む大豪商末次興善が思い浮かぶ。彼の名前にちなんだ興善町という場所が現在もあります。末次興善は元は博多商人だったが長崎に移り住み、東南アジア辺りまで出掛けるなどして巨万の富を得ます。その子供は長崎代官になっている。



飛鳥の地名
福岡県立三井高校のある小郡市井上に「飛島(とびしま)」という地名があるという。明治15年の記録では「飛鳥(ひちゃう)」となっている。
また福岡県朝倉市杷木(はき)志波の古社麻氐良布神社(まてらふ)の祭神に「明日香皇子」があることから、飛島の飛鳥はアスカと読むべきだろうとする。
要は古田はこちらのアスカが元祖なんだと言いたいのだ。



阿毎 多利思北弧
遣隋使の600~618年頃は推古天皇(女性)時代なのだが「日出ずる処の天子、云々」はアマ・タラシヒコという男性で、その妻の名前も出ている。別の中国正史にはアマタラシヒコは用明天皇だと書いてはあるが、不審点。



神籠石
九州山口、瀬戸内海の四国と本州に神籠石という古代山城がある。山を加工した石垣で取り囲んで軍事要塞の様。白村江の戦い(663年)以降にヤマト王権が防衛のために作ったという説が定説だが、古田は「大惨敗した後に防衛の城を作らんだろう」「10年やそこらで出来る規模ではない」「近畿の防衛がない」等の理由で、九州王朝が前々から作っていたのだとする。
ネットで検索したら「神籠石時期尚早論」というのがあるらしい(笑)。
筑紫の語源は「築石」に由来するという説があるらしいですが、ローマ帝国とか秦の万里の長城みたいに九州には石を敷き詰めた道路があったとかなかったとか。古墳にしても石人石馬にしても神籠石にしても、有明海同盟の筑紫君や火君ぐらいしか作れないだろうと思う。九州の倭国が白村江より以前に作っただろう。間違いない。



銅鐸
九州は銅矛文化、近畿は銅鐸と言われる。
鐸舞というものが中国や朝鮮にあるという。銅鐸を使ってドンチャン騒ぎをする訳です。三国志の魏史韓人伝には、韓人の鐸舞を生き生きと描写して書いてあり、中国のそれとの違いが批評されている。倭人伝では近畿の銅鐸文化に一切触れられていない。



三角縁神獣鏡
邪馬台国畿内説派は意地でもこれを卑弥呼と繋げたいのだが、個人的意見では、国産の大量生産品だろう。ほぼほぼ近畿地方内のみの流通。



法隆寺
先日NHKブラタモリでやってました。最初に作ったものが燃えた為に近くの現在の位置に移動し再建したとか。
古田は九州から移動させたと書いている。元祖法隆寺は九州にあったと。
どこのだったか探しきれないが福岡の装飾古墳に五重塔が描かれたものがあったはず。上記の飛鳥の件と蘇我氏の正体で「飛鳥」の真実が見えてきますかね。



その他、弟橘姫と柿本人麿などについても短編が載っている。九州王朝のキーパーソンなのか。和田家文書は胡散臭いので無視で。