chayarokurokuroの雑記ブログ

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蘇我氏は倭国王?

三井記念美術館所蔵(三井文庫の個人所有)の国宝銅製船氏王後墓誌(どうせい・ふなしおうご・ぼし)というものがある。
銅製船氏王後墓誌 | 大阪府柏原市
船氏王後墓誌 | 大阪府柏原市

船王後 - Wikipedia
船王後(ふねのおうご)は人の名前で、飛鳥時代に推古・舒明天皇に仕えた渡来系の官人、姓は首。
船氏とはふなっしーか、いや、船王後さんの子孫の名字。
船王後さんが668年に亡くなり、銅板に記した墓誌



墓誌について】

  • 造られた年代: 668年~7世紀末と考えられ、わが国最古の墓誌
  • 江戸時代に出土(詳細不明)
  • 大阪府柏原市の松岳山古墳群の丘陵から出土したという伝承や記述がある(詳細不明)
  • 銅製の長方形の短冊形板
  • 表面にはかすかにメッキが残る
  • 長さ29.7cm
  • 幅6.9cm
  • 厚さ0.1cm
  • 表裏に各4行、合計162文字の銘文が刻まれている
  • 表面に86文字
  • 裏面に76文字



横路にそれるが、銅板をネット検索していたら蘇我理右衛門 - Wikipediaが見つかった。
江戸時代、住友財閥の業祖となる蘇我理右衛門(りえもん)。若くして堺で銅精練と銅細工の技術を修得した銅商。
今回触れている船氏王後墓誌三井財閥です。



【銘文の内容】

(表) 惟船氏故 王後首者是船氏中租 王智仁首児 那沛故 首之子也生於乎婆陁宮治天下 天皇之世奉仕於等由 羅宮 治天下 天皇之朝至於阿須迦宮治天下 天皇之 朝 天皇照見知其才異仕有功勲 勅賜官位大仁品為第



(裏) 三殞亡於阿須迦 天皇之末歳次辛丑十二月三日庚寅故 戊辰年十二月殯葬於松岳山上共婦 安理故能刀自 同墓其大兄刀羅古首之墓並作墓也即為安保万 代之霊其牢固永劫之寶地也



【訳】

「船氏王後首は王智仁首の孫、那沛故首の子です。乎裟陁宮治天下天皇敏達天皇)の時に生まれ、等由羅宮治天下天皇推古天皇)に仕え、阿須迦宮治天下 天皇舒明天皇)の時にはすぐれた才能を認められ、冠位十二階の第三等にあたる「大仁」の位を賜りました。そして辛丑年(641)12月3日に没しました。その後、戊辰年(668)12月に松岳山上に埋葬しました。夫人安理故能刀自と共に同じ墓に埋葬し、墓は兄の刀羅古首の墓と並んで作りました。この地 は永遠に神聖なる霊域であり、侵してはなりません。」



上記の内容は上に貼り付けている大阪府柏原市のリンクのコピペです。
訳文に三人の天皇の名前が見える。

  1. 乎裟陁宮治天下天皇敏達天皇
  2. 等由羅宮治天下天皇推古天皇
  3. 阿須迦宮治天下 天皇舒明天皇

敏達・推古・舒明の訳注は柏原市が付けたもの。それぞれ、

  • 敏達 : 乎裟陁宮(オサダの宮)
  • 推古 : 等由羅宮(トユラの宮)
  • 舒明 : 阿須迦宮(アスカの宮)


どういう天皇か見てみる。ここからはWikipediaを引用する。

敏達天皇 - Wikipedia

  • 敏達天皇(びだつてんのう、538年?〈宣化天皇3年?〉 - 585年9月14日?
    • 別称
      • 渟中倉太珠敷尊、他田天皇、訳語田天皇、訳語田渟中倉太珠敷天皇
    • 皇居
      • 百済大井宮、訳語田(おさだ)幸玉(さきたまの)宮



推古天皇 - Wikipedia

  • 推古天皇(すいこてんのう、554年5月21日〈欽明天皇15年乙巳朔癸丑: 4月9日〉- 628年4月15日
    • 別称
      • 豊御食炊屋姫尊、豊御食炊屋比売命、炊屋姫尊、(諱は額田部)
    • 皇居



舒明天皇 - Wikipedia



ここからは妄想タイム

蘇我氏=宗像君=倭王?】

ここでは蘇我氏倭王に仕立てる。順番は入れ替わるが推古天皇から。
推古の宮の豊浦(トユラ)でピンと来るのは、仲哀天皇の宮だった穴門豊浦宮、場所は山口県下関市の豊浦。「穴門」とか「穴穂」とかの関門トンネルのこと(嘘)

そしてもう一つ、推古時代にブイブイ言わせていた蘇我馬子、その息子の蘇我蝦夷は「蘇我豊浦大臣」と呼ばれること。母は物部尾輿。尾輿なだけに尾張と越をも押さえていたのか。
越国の継体が古賀市シシブの物部麁鹿火と筑紫君磐井を討って(討ったことにして)蘇我氏に変わったということなのかな。わからん。
古事記スサノオクシナダヒメを嫁にした後、出雲国に行って「須賀」の地名の由来を紹介したシーンがあったと思う。
蘇我氏の本拠地は山口県や出雲の周辺だと思う。
軍事要塞的だったであろう神籠石山城のある山口県光市の石城山(いわきさん)石城山 - Wikipediaは、九州王朝の倭国白村江の戦いより以前に建てたと思うが、蘇我氏がここの主だった。そして蘇我氏倭王になった。と、そういう事に仮定する。
筑紫君や火君ら熊本の巨石と装飾古墳文化を、蘇我氏は飛鳥の巨石古墳や中国・高句麗風だが装飾古墳に引き継いでいる。
蘇我氏宗像君の本チャンなんだろうか?
記紀蘇我氏が威張り腐っているように書くが、蘇我氏倭国王なら絶大な権力を有していて当然だっただろう。
という事なら、遣隋使の主体が倭国なら、アマタリシヒコ蘇我氏の男性の誰かという事になる。
弥生時代出雲国中心地は島根県ではなく、隣の鳥取県米子市妻木晩田遺跡だそうだけど、その直ぐ横に石馬谷古墳がある。6世紀中頃の築造。磐井の乱の前後だ。ここから筑紫君や火君しか作らない石馬が出土。大国主が国を譲り渡した相手は九州の倭国よ。知らんけど。
仮説倭王=蘇我豊浦蝦夷の兄弟に蘇我善徳なる人物がいる。飛鳥寺(法興寺)の初代寺司蘇我善徳 - Wikipedia
蘇我氏は宗像氏だとし、「善徳」をひっくり返して「徳善」にすると、宗像徳善になる。宗形徳善 - Wikipedia。宗像徳善の娘は天武天皇に嫁いでいる。
蘇我善徳宗像徳善は同時代だ。同一人物か。



敏達天皇の訳語田(おさだの)幸玉(さきたまの)宮と小狭田彦】

古代の九州でオサダと言えば、ホームセンターか、長田彦(小狭田彦)のオサダでしょうか。香月氏のご先祖。ニギニギしい熟熟アツアツの鉄を加工し剣を作っていた。北九州工業地帯の鉄鋼業は瀬戸内の尾張の熱田に伝導。
さて、小狭田彦の別名を常磐津彦という。如何にも関東や陸奥に行きそうな名前。
この娘が常磐津姫でヤマトタケルの奥さんだと香月文書にある。

次のURL宗像三女神 - Wikipediaの「概要」には次のように書かれている。

日本書紀』については、卷第一・神代上・第六段の「本文」とその「一書」で天照大神素戔嗚尊の誓約の内容が多少異なる。降臨の地は、福岡県の宗像地方東端の鞍手郡鞍手町の六ヶ岳という山で、筑紫国造の田道命の子孫の、長田彦(小狭田彦)が、天照大神の神勅をうけて神籬を建てたのが祭祀の始まり。『宗像大菩薩御縁起「筑前国風土記逸文」』『香月文書』『六ケ岳神社記』『福岡県神社誌』など。

敏達天皇の宮がオサダのサキタマの宮という事で、サキタマなら埼玉県でしょ。
九州と埼玉を繋ぐなら、行田市の稲荷山古墳の雄略のワカタケル鉄剣。長田彦の末裔の北九州勢と浮羽の羽白熊鷲ヤマトタケルの軍勢と合同で関東東北に行ったのかな?
ともかく埼玉県に敏達天皇の訳語田宮があるんだろう。もちろん敏達はヤマト王権の人などではなく、九州の倭国の人物。東征の将軍職。



舒明天皇飛鳥岡本宮

百済系と噂の息長氏で諱が田村で百済宮で亡くなり広額天皇という名前。百済からの渡来人か何かですかね。宮がやたらと火災にあっている。岡本宮 - Wikipedia
この人物は帝とかではなく、倭王=蘇我氏に仕える唐通事の学者とかでは? 王の命で唐からの外交官のお迎えをしに行ったりしてるようだけど…