chayarokurokuroの雑記ブログ

読書記録、書評、歴史(九州倭国説)など

コンテンツにおける方言の重要性

私はコンテンツはなるべく地域性や特色を出した方が良いと常々思っています。
服装にしても食べ物にしても音楽にしても、ユニクロマクドナルドと西洋クラシックじゃ何処で着ても食べても聴いてもみんな同じで全然面白くない訳で、民族衣装なり地域性の濃い料理の方が価値がある。
小説なら井上ひさし吉里吉里人』や村上龍『69』などは会話文が方言丸出しな故に面白いと感じられる度合いが増しているし、芸能人にしても熊本出身のヒロシなどは「ヒロシです」と言うだけで笑いが取れる。博多華丸大吉にしても青森県出身のリンゴ娘・王林にしても方言の訛りが出ていなければ面白みが落ちるでしょう。
時代や地域の特性を最大限活かそうとし、それを受け継いで来た先輩たちの知恵と努力と苦労の結晶に観察者は意味を見いだす。それが「歴史を見る」という事の面白さや醍醐味の1つだろう。
極端な話、風変わりで奇妙なほど良い。ジャズマンと同じで「他のヤツと同じじゃつまらない」みたいな。「東北の縄文人はなんでこんな宇宙人みたいな土偶作ったんや?!」という。
政治・経済の指向する集中や効率や統一とは相性が悪いが、文化の面白みを作って行こうとするなら最も大切にしなきゃならん事ですかね。