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乙巳の変と皇極天皇の譲位

645年、中大兄皇子中臣鎌足がクーデター「乙巳の変(いっしのへん)」を起こし、蘇我入鹿大臣を殺害、入鹿の父・蘇我蝦夷は自宅の屋敷に火を着け自害した。日本書紀がその時の天皇としているのは皇極(=斉明)天皇と言う。舒明天皇の皇后で諱が宝女王
蘇我蝦夷と入鹿の親子が殺害されて、なぜかこの皇極天皇軽皇子(孝徳天皇)に譲位している。



ここから九州倭国説脳。
九州説的に、と来れば高良と来るだろう。高良大社に住まう倭王の一族。奈良の一豪族風情とは別格の女王。そして、ひょっとすると倭国王だったかも知れない、または女王を補佐する倭国の大臣だったかも知れない蘇我宗家親子が、韓人呼ばわりされる何処ぞの馬の骨によって消され、高良の女王が日本史上初という譲位を行ったということになっている。

つまり乙巳の変は、奈良ヤマトの族が本チャンの倭ヤマトに斬り込んだ大事件だった。
これを期に大化の改新という流れになるだろうが、白村江を挟んで倭国は滅亡し、倭国は日本国(ヤマト朝廷)にとって変わられる運びとなる。

暗殺の首謀者である中大兄皇子(天智)がこの後、速やかに王(天皇)になっていないとか、白村江の対応をやっていない等は、天智が倭国の人間ではないからだという証左ではなかろうか。結局天智も暗殺される運命を辿る。中臣はちゃっかり生き残り歴史改竄できる立場、陰謀の基に。