chayarokurokuroの読書ブログ

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福岡県糸島最大の前方後円墳『一貴山銚子塚古墳』

糸島地方最大の前方後円墳『一貴山 銚子塚古墳』(国の史跡指定)に行って来ました。築造は推定4世紀後半。
『一貴山 銚子塚古墳(いちきさん・ちょうしづか・こふん)』 糸島市公式サイト
一貴山銚子塚古墳 - 糸島市
https://www.city.itoshima.lg.jp/s033/010/020/010/110/030/141.jpg
前方部が細い。手鏡の形。



北部九州の古墳(や弥生遺跡)では小さなものからでも大変なお宝が出てくる場合がよくあるので、特に古墳のサイズや形に拘る意味はないと思います。とはいえ、糸島最大のこの前方後円墳からは別格な副葬品が多数出土している。
九州王朝説の古田武彦は邪馬壹国(彼はヤマタイではなく、ヤマイチだと拘る)の場所を博多湾岸としているが、その根拠の一つとしてこの『一貴山銚子塚古墳』の存在を挙げている。地方豪族にしては副葬品が豪華過ぎる。

一貴山銚子塚古墳 - Wikipedia

史跡名 : 銚子塚古墳(金の銚子が埋葬されているという伝説に由来)

所在地 : 福岡県糸島市二丈田中字大塚100-1

形状 : 前方後円墳

詳細 : 主軸を南北方向に、前方部を北に向ける。前方部が二段、後円部が三段築成。周囲に周濠は認められず。

築造時期推定 : 4世紀後半

規模 : 墳丘長103m/高さ9.5m(後円部)

埋葬施設 : 後円部中央に竪穴式石室。割石の小口積み。長さ3.4メートル、幅1.4メートル、深さ0.8メートルを測る。石室内部に組合式木棺。

発掘調査 : 昭和25年(1950年)に福岡県教育委員会日本考古学協会を中心に行われ、糸島高校の生徒も多数調査に参加。多くの副葬品が埋葬当時の配列を保ったまま、ほぼ完全な状態で出土。

【出土品】石室内部

  • 10枚の青銅製鏡。
  • 木棺のふちに、鏡面を内に向けて立てかけられてあった。

    • 鍍金方格規矩四神鏡(ときん・ほうかく・きく・ししんきょう)× 1面。中国製後漢鏡。金メッキされ国内で数面の希な物。頭部付近に配置。

    • 長宜子孫内行花文鏡(ちょうぎしそん・ないこうかもんきょう) × 1面 。中国製後漢鏡。頭部付近に配置。

    • 三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)(日本製)× 8面。左右の側縁に各4枚ずつ配置。

  • 硬玉製勾玉 2個
  • 碧玉製管玉 33個
  • 鉄製素環頭大刀 3口
  • 直刀 3口
  • 短刀 1口
  • 鉄剣 6口

【出土品】石室外部

  • 剣形槍身 14口
  • 鉄製長頚鏃 14個
  • 壺形土器片(土師器二重口縁壺片)


現在の出土品保管場所

大半が京都大学総合博物館に保管されるほか、木棺材片・水銀朱の一部が糸島高校附属郷土博物館に保管。

場所

福岡県糸島市二丈田中
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山に囲まれ田園の広がる長閑な地域です。

地図を見ず、「森が見えたら古墳に違いない!」と徘徊していると何かの案内板が…

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「国登録有形文化財椛島家住宅」糸島お宝美術館 拝観←」と書かれてある。
一貴山銚子塚古墳は椛島家住宅の敷地内で、すぐ隣にある。この屋敷は元は糸島の大豪族満生(みついき)氏の所有であったというが、何らかの理由で椛島氏に渡ったようだ。禅宗のご住職のようです。

住職の名前繋がりで、「椛」は通常はカバと読み白樺の樺と同じ意味だが、紅葉=もみじとも読む。コノハナサクヤヒメ木花と何か関係あるんだろうか。サクラの古代の名称をカバと言ったという。それがサクヤヒメのサクヤからサクラになったとも。また樹皮は白樺と桜はよく似ている。油分を含む為によく燃えるそうで世界中で古代から火起こしに使ったり、木工細工に貼ったりして使ってきた。
火に関係あるとするなら、姉のイワナガヒメを火打ち石か鉄鉱石、妹のコノハナサクヤヒメが起こった火か製鉄または金属加工時に出る火花の事を指しているのではと妄想できる。

さて、他人のお住まいをカメラで撮ることに卑しい品性の後ろめたさを感じつつも「これはお宝美術館なのだ」と割り切り、パシャパシャさせて頂きました。

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あいにくお宝美術館は閉まっていた。

お宝美術館の前にある石のテーブルと椅子

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トイレを我慢していたのか後ろめたさからか、写真がいまいち。

一貴山銚子塚古墳の案内板。
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案内板アップ右

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案内板アップ左

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「古くは江戸時代、貝原益軒の『筑前國続風土記』に「神在村の西にあり。此所に大なる塚有。塚の内方三間程あり。南の方に口あり。内は石垣なり。人入る事なし。内には人の骨多し。」と紹介されていた。」とある。



案内板のすぐ左に小さな階段があるので、そこから古墳に入れる。古墳と言っても草木の生い茂るタダの墳丘だが…

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分かりにくいが、上の写真のように後円部が谷のように掘られてあった。後世の堀割(切通)と一貴山銚子塚古墳 - Wikipediaにある。



おまけ

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屋敷の瓦に印があるのを発見した。現場でこれを「藤原仲文」と読んで、ネットで調べてみると、平安中期の歌人で36歌仙の一人で、西暦923~992年とあるじゃない。「1000年前の瓦か!」と興奮したが、先ほど写真をよく見たら「前原仲文」と読めますね…トイレ我慢して早とちりしたかな。