福岡県糸島市波多江の産宮神社(さんのみや・じんじゃ)に行って来ました。
鳥居の横にこのような花柄の台座がある。
これを高祖神社 | まにまに。によると「八葉座」というそうだ。
これと同じような物が糸島市高祖山の高祖神社(たかす)にもあった。大型内行花紋鏡の形から来ているとか何とか。
「八葉座」で検索しても出てきませんね。神社関連資料を探すしかないのか。
「八葉座」と来たら久留米の高良山の神籠石「八葉の石畳」の八葉を思い出すが、何か関係あるのだろうか?
場所
糸島の真ん中、マンションやお店が立ち並ぶ街。道は大通りでも対向一車線。西に雷山川、東に瑞梅寺川が流れている。
波多江駅のそば。住宅街にある。
産宮神社
- 御祭神
- 例祭日
- 二月二十五日 百手的射神事(ももてのまとい)
- 毎月二十五日 安産祈願祭
- 略縁起
奈留多姫とはどなた?
奈留多姫が懐妊して先祖にお祈りしたというから、ウガヤフキアエズと玉依姫の夫婦の子孫ということで良いのかな?
産宮神社 - Wikipediaには次のようにある。
社伝によれば、(中略)、出産に臨んで苦もなく皇子、神渟名河耳命(第二代、綏靖天皇)を安産し、以後、「産宮」と称えて安産守護の神と祭る
二代目綏靖(すいぜい)天皇を奈留多姫が生んだということは、「奈留多姫=神武天皇の奥さん」ということか。欠史八代を生んだ人が祀られた神社。
でも、綏靖天皇の母の名前と違うし、記紀でも名前が異なる問題。
綏靖天皇の母は、
- 古事記 : 伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)=(別名 ホトタタライススキヒメ)
- 日本書紀 : 媛蹈鞴五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメ)
とされている。名前の異なるこの二人に、新たに奈留多姫が加わり三つ巴。
【参照】綏靖天皇 - Wikipedia
あの、ところで私事ですが、先祖に五島列島の奈留島の出身者がおります。
もしかして、奈留多姫は五島の奈留島と関係があるんじゃないかと…
五島列島を昔はチカ島と呼び、現在も小値賀島などに名残がありますが、志賀島の鹿などは五島のチカが鈍って変化したものだと言います。
五島も海神族なんでしょうから、遥か西方の金属技術などの文明の仲介者だっただろう。
スキタイや匈奴が再生のシンボルとして美術モチーフにしていた「鹿」と関連付けができる。西方の文明がバケツリレー方式で伝わったにしても、無関係ではないと思う。
更に、倭王や記紀が書く天皇関係者の名前に出てくる「五十」は「ゴトウ」と読めることから、「チカ島」と呼んでいた島を「五島」と呼ぶようにした等とこじつけられる。
ヒメタタライスズヒメの「タタラ」は鉄工関係っぽいし、「イスズ」も「ゴトウ」の「スズ」でこれも金属関係っぽい。
「奈留島」の隣には「椛島」があり、コノハナ(木花)サクヤヒメに関わりそう。
更に妄想を拡げると、
奈良県飛鳥の飛鳥坐神社、加夜奈留美神社の加夜奈留美と産宮の奈留多姫と奈留島の「奈留」繋がり。
加夜奈留美とウガヤフキアエズのカヤと伽耶の「カヤ」繋がり。
伽耶は弁韓で、倭人が鉄を買いに来ていると魏史にあるので、鉄関連。
神武天皇の前妻と息子のタギシミミ
神武天皇は東征に出る前に日向の吾田邑の阿多之小椅君(吾田君小橋)の妹=阿平津姫との間に多芸志美美タギシミミ(古事記)=手研耳(日本書紀)をもうけているとされる。
タギシミミは後継者争いで反乱を起こした。
「五島人は隼人に似ている」と日本書紀か何かに書かれてあるが、奈留多姫=阿平津姫とすると、産宮神社が伝える所の奈留多姫が生んだ綏靖天皇こそがタギシミミであったことになるのか。つまり中身が入れ替わった。
創作マミレの記紀の中でも更に欠史八代、強者。だてに「萬世産婦の守護神」が生んだだけある。
萬世とは満生氏のこと?
妄想終了。
撮って来た写真を。
正面。
菊の御紋が縄の上に輝いているのだが、写真では隠れてしまっている…
神功皇后が三韓から持帰り植えたという子安梅。1000年以上経つ筈だが、意外に小さい。
菊の御紋や大宰府の梅の紋以外に、別の社紋がある筈だと思いまして。金色に輝く部分に葉っぱの紋が見える。何だろう?
【追記】
『筑前国続風土記付録』『同拾遺』には、奈留多姫はウガヤフキアエズの第三子としていると、九州古代史の会編『「倭国」とは何かⅡ』不知火書房のp.74、灰塚照明さんの記事に書かれている。未確認ですがメモまで。