福岡県糸島市有田の曽根遺跡群にある弥生時代後期の国指定史跡『平原遺跡』(ひらばる)へ行って来ました。
平原遺跡 - Wikipedia
平原遺跡(ひらばるいせき) - 糸島市
海部元首相の名前が入っている。
公園として整備されており、駐車場もあります。広さは中学校の運動場ほどだろうか。
波多江の産宮神社からこちらへ移動してきたのですが、方角で南、距離にして3キロ、移動時間にして車で7分。マンションやお店の立ち並ぶ騒がしい街並みから一転して、若干落ち着いた住宅地と田畑の風景。
東に瑞梅寺川(ずいばいじ)、西に雷山川が流れる挟まれたこの地域に、日本弥生最強の遺跡が数多く凝縮されております。
糸島の真ん中。
この辺だけ区画が周囲と違う。昔のままなんだろうか。
駐車場前の石碑(海部元首相名入の)前から撮影。
駐車場の説明板。 元々この辺りは「塚畑」と呼ばれていた。1965年(昭和40年)1月、農家の井手さんがミカンの木を植えようと溝を掘っていたら大量の銅鏡片が出土。それで前原在住の考古学者・原田大六氏が調査主任となり大神邦博氏らと共に発掘調査され、5基の墳丘墓などが見つかる。
写真中央に見える小さな丘が1号墳。現在これだけが復元されている。
畏れ多くも1号墳の近くに寄る。
四隅が丸い方形周溝墓。だいぶん小さい。14×12メートル。
中心に竹割形木棺。東西方向に配置し、西枕。
武器が少なく装飾品が多い事などから被葬者は女性と見られている。
調査主任の「原田大六氏はこの平原1号墓の主を玉依姫命とし、大日孁貴(オオヒルメノムチ)であるという説を提示している」(平原遺跡 - Wikipedia)
発掘調査で出土した副葬品の図柄が磁器に描かれ壁に貼り付けてある。
原寸大でしょうか。お宝の名称も書いてある。
「変形内行花紋八葉鏡」Φ46.5cmで日本最大の銅鏡ってのがこれか?
複製品が伊都国歴史博物館に展示。
1号墓の副葬品
全て国宝に指定。1基からの銅鏡出土数は日本最多の40枚。
- 大型内行花文鏡 5面(または4面) 別称「内行花文八葉鏡」、日本製、直径46.5センチメートルの超大型内行花文鏡。
- 内行花文鏡 2面
- 方格規矩鏡 32面
- 四螭文鏡 1面
- メノウ製管玉12
- ガラス製勾玉3
- ガラス丸玉 約500
- ガラス小玉 約500
- ガラス管玉 約30
- ガラス連玉 約900
- 耳璫(じとう) 3破片
- 素環頭大刀 1
耳璫(じとう)とは耳飾り・ピアスのこと。出土品はガラス製で、中国なら超トップクラスの女性しか身に付けない品物だとか。
銅鏡は全て割れていたという。騎馬民族のうち、鏡を必ず割って埋葬する人達がいるので、この事が何を意味するかが問題になる。
伊都国には海外からの外交官が来るし、海外の王族も何らかの理由で滞在・在住していた可能性もあるでしょう。必ずしも倭国の女王などと限定する理由もないと思う。そうしたくば、出自を含め文化の影響を理屈付けした説を上げないと。原田大六氏は「意図的に割ったものではない」としているようだ。
国粋主義的心情で受け入れ難いのなら、土偶を壊す的な風習の延長で縄文文化が基にあることにしてしまいますか(笑)
何はともあれ、ここの遺跡は熱い。
先に進みます。
徒歩で公園の奥に。
公園の地図
藁葺き屋根の屋敷が。『旧・藤瀬家住宅』
大分の中津藩の大庄屋・藤瀬氏が1737年の築造から平成12年まで住宅として使っていた家。建造年が判明する建物としては九州最古の住宅として貴重な資料と。
江戸時代、現在の糸島市内には幕府領・福岡藩領・唐津藩領・中津藩領・対馬藩領などがあり、糸島市神在の藤瀬家は深江の堤家と共に中津藩の大庄屋を務める旧家だったと。
お邪魔いたしまする。
旧・藤瀬家住宅の前にあった説明板
『平原遺跡』関連本を読む理由ができた。ちょっと探ってみますかね!