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福岡県直方市大字下新入『劔神社』

福岡県直方市大字下新入にある『劔神社』(つるぎじんじゃ)へ行って来ました。

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古くは「倉師大明神」(くらじ)と呼ばれ、筑紫君鞍橋(ちくしのきみ・くらじ)のゆかりの神社で、六ヶ嶽の東嶺「天上嶽」にあったといいます。「鞍手(くらて)」も鞍橋(くらじ)君から来ているとか。

劔神社【つるぎじんじゃ】安産・初宮・七五三・厄祓・交通安全・地鎮祭等の紹介-剣神社(福岡県直方市)
劔神社 (直方市) - Wikipedia



宗像三女神ゆかりの鞍手郡鞍手町『六嶽神社』から移動しました。東に一山越え、移動距離5.5キロ。

場所

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駐車場があります。

祭神




遠賀川流域が物部氏の発祥だといいます。祭神は長田彦が長官の筑紫物部の神々だそうです。
鞍橋君はの名人ですが神社。
闇淤加美之神(くらおかみ)」「御津羽之神(くらみつは)」は、イザナミの死因となったカグツチイザナギが斬った時に剣に付いた血から生まれた神だそうで、「」はを表すという。六嶽神社の祭神にも闇龗神(くらおかみのかみ)の名がありました。
筑紫君磐井の先祖の甕依姫に因むのか、ミカを含む神が見えます。

御由緒


祭祀の始祖は、筑紫の国造「田道の命」(考元天皇の五世の孫)で、筑紫物部を率いて神々 を祀ると云う。田道の命の橘孫「長田彦」が、神官となりました。 往古は「倉師大明神」と称えられ、年代は明らかではありませんが、六ヶ嶽の東嶺「天上嶽」に鎮座されていました。室町時代に入って足利義満は、高向兵部卿良舜を奉行とし 社殿を造営し奉りました。戦国時代には、龍ヶ嶽城主杉氏は、同社を粥田莊鎮守の宗社として崇敬し 社殿を「紫竹原」に遷座造営し熱田神宮より日本武尊を相殿に奉祀して「八劔大神」と称えました。江戸時代に入って、野火が入り社殿は焼失し、現在の「亀丘」に遷しました。藩主黒田長清が再造営しています。現在の社殿は、氏子中の奉讃により建立されたものです。

劔神社【御祭神・祭典日・御由緒-案内】より。



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風変わりな燈籠。金で亀の紋章。亀!なぜだ!
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亀!なぜだ! f:id:chayarokurokuro:20200604121819j:plain
天孫より古いってこと?

ユニークな狛犬
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筑後(八女)に古墳がある磐井と、小狭田彦月氏らの筑豊北九州勢は、鞍橋の「筑紫君」というところで繋がっているのは分かるが、いまいち勢力の関係・情勢が見えない。
任那百済が470年頃に一度滅亡していて、日本書紀磐井の乱の前に任那割譲問題の事を書いている。また国内産砂鉄での製鉄が始まるのもその頃のようで、何か倭国内で意見の対立があったのか…