福岡県飯塚市鹿毛馬(かけのうま)にある古代山城?跡『鹿毛馬神籠石』(かけのうまこうごいし)を見て来ました。
神籠石
【参考】(にならないがw)
神籠石を見学してきたメモ - chayarokurokuroの読書ブログ
本来「神籠石」(こうごいし)とは信仰の対象として自然に存在する大きな岩「磐座」(いわくら)のことを指していたが、福岡県久留米市高良山(こうらさん)での「列石」発見により歴史学界で「神籠石論争」が巻き起こった。その過程で「神籠石」という名称で定着してしまったらしいのですが、高良大社では昔から「八葉の石畳」と呼ばれて来たといいます。
福岡県を中心に、佐賀県や山口県、四国と岡山県など瀬戸内海側に幾つか点在し、古代の山城跡などと言われている。
663年の白村江の戦い以降に築城・改築された「朝鮮式山城」については記紀に載っているが、神籠石に関しての記録は一切無いため、誰がいつ何の目的で作ったのか分かっていない。
断面をキレイに切った石が低丘陵の山の斜面に数キロに渡って連ねてある。
たいてい、神籠石で囲んだ地域内や近くに池があり、古墳がある。
鹿毛馬神籠石の場所
「鹿毛馬(かけのうま)」の地名の由来を検索したが見つけきれない。福岡県には鹿毛氏(かげ)が多くいらっしゃいますが、時代は鎌倉から、本拠地は久留米など筑後という。武内宿禰の母の山下影姫は福岡県小郡市の人だというから、「鹿毛」は山下影姫と関連があると勝手に思っている。加計学園の加計さんもそうかも。昔は「景」とも書いたそうで、大足彦忍代別尊(架空人物だと思っているが)を景行天皇と名付けたのもそういう事を含んでいるのでは。
撮った写真を
スマホで歩きながらパシャパシャ写してるので、一部ボケています。
小さな案内板に従い、森の方へ砂利道を進むと…
さらに砂利道を進む
後ろを振り返ってみる
しばらく行くと開けた駐車スペースがある。
説明板が設置されている
上の図の緑色を囲むように列石(神籠石)が敷設。
周囲が約2キロ、石の個数が約1800個とか。丘陵の高さは他の神籠石より低く5070mとかそのぐらいと。
案内板、駐車スペースの周辺を数枚
大きな池があります。
案内板があった所から山に入る。
足下を見ると、黒い石が落ちている。炭っぽい。石炭?
石器っぽい。
拾って持って帰ろうかと思ったが、戻って案内板の上に載せておいた。
佐賀県の「おつぼ山神籠石」や「帯隈山神籠石」より道幅が広い。
こちらは、それこそ鹿毛馬ってぐらいだし、馬が掛け上がれる程の幅は余裕である
山の斜面も緩やか
歩き初めて10分もしない内に神籠石、列石が
石の一つ一つが佐賀のよりデカい。
※下の6段は歩行者の階段用に積んだブロックです。
下の4段は階段用ブロック。奥まで伸びているのが神籠石。
ピシャッと切ってピシャッっと繋いである。
かなりキレイに面を切ってある。
城の石垣はもっとザックリしてるだろう
何のためにこんなにキレイに切ってある?
祠があるぞ
桃っぽい紋。
普段着だったので深入りしませんでした。ハイキングの格好してった方がいいです。
ここは斜面も緩やかで道幅も広く、歩きやすい。ナイスです(*´・ω・`)b
追記
かつては『牧の石』という呼称だったそうだ。