福岡県田川郡香春町(かわらまち)大字香春(かわら)の『香春神社』(かわら・じんじゃ)に行って来ました。
初めて田川を訪れましたが、寺ほどの敷地と建物を持つ瓦屋根の大豪邸が至るところに沢山あってビビる。
なんだここはー!!!(゜ロ゜ノ)ノ
参照
場所
ほとんど大分県ですね
神社の後ろの山が白くなってるのは石灰石の採石所ですと。
北に採銅所という地名まである。町中の大豪邸は銅と石灰と石炭で建てた屋敷なのか!
香春神社
なかなか驚きよ。
概要
Wikipediaからコピペする。
延喜式神名帳に記載されている豊前国の神社は六座だが、その半分にあたる三座が香春神社にある。 (残りの三座はすべて宇佐神宮内)三座は、辛国息長大姫大目神社、忍骨神社、豊比咩神社で、もともと香春三山(一ノ岳・二ノ岳・三ノ岳)の山頂にあった。
和銅2年(709年)に山頂の三社を現在地に移設したのが、現在の香春神社。古来より宇佐神宮と共に豊前国を代表する大神社だった。 辛国息長大姫大目神社と忍骨神社に正一位の神階が与えられたのは、承和10年(843年)で、これは奈良の大神神社(859年)、石上神宮(868年)、大和神社(897年)が正一位になった年よりはるかに早い。
平安時代初期における香春神社の社格は非常に高く、現在豊前国の一宮は、一般的に宇佐神宮とされているが、古い資料の中には香春神社を一宮と記しているものもある。
宮司は代々、赤染氏、鶴賀氏が務める。
社前には、「第一座辛国息長大姫大目命は神代に唐土の経営に渡らせ給比、崇神天皇の御代に帰座せられ、豊前国鷹羽郡鹿原郷の第一の岳に鎮まり給ひ、第二座忍骨命は、天津日大御神の御子にて、其の荒魂は第二の岳に現示せらる。 第三座豊比売命は、神武天皇の外祖母、住吉大明神の御母にして、第三の岳に鎮まり給ふ」と書かれている。
祭神の「辛国息長大姫大目命」とは神功皇后のことだろうと思ったが、細かい議論があるようだ。辛国と正直に書いている所が潔い。男前。男勝り。
「忍骨命」とはアメノオシホノミミのことだと。高木神の娘の栲幡千々姫のご主人。
「豊比売命」は神武天皇の外祖母かつ住吉大明神の母だと。豊玉姫とか佐賀の與止日女かな?
宮司の赤染氏は遼東半島の公孫氏の末裔だ。正体を明かすとは神社らしからぬ潔さ。
公孫氏 (遼東) - Wikipedia
撮った写真を
多め。
読めないw。
「県社 香春神社」?
鳥居の前の通り。2枚
神社に向かって左手
右手
由緒
「新羅国神が此の地に来て河原に住み、鹿春神と名乗った」というようなことが書いてある
ここにも鹿
平和の塔
何の石碑なのか未確認。
石橋。
鳥避けのためか水面の上に番線が張ってあった
もうちょい
振り返り見る
到着
有形文化財 香春神社
「山王石」
昭和14年に、裏山の香春岳(一の岳)から重さ86トンの巨大な石灰石が、轟音と共にこの場所に落下してきたが、幸い神社への直撃も人災もなく奇跡の神として祀られている、云々
現在の場所に移して1300年。
拝殿
凝った彫刻が施されてある
獅子や象の鼻の貘、鳥や龍
能や神楽でも踊るためのものか
拝殿の横に回る
三階菱紋!
小倉の小笠原家から拝領されたものか?とWikipedia
本殿の裏に仏教美術風の
巨大なイチョウ
収穫のある訪問でございました。
近くの採銅所には行かなかったが、香春神社とセットだろう、鏡造りと合わせて、また次回に。