chayarokurokuroの雑記ブログ

読書記録、書評、歴史(九州倭国説)など

筑紫君磐井を祀る神社がない件

悪党とされたどんな人物でも神社の一つぐらいある

蘇我入鹿平将門もある。出雲大社だってそうよ。祀らないと祟られる。

なぜ筑紫君磐井の神社がないのか

それは磐井の乱が無かったからよ!

八女古墳群や、福津市津屋崎古墳群は筑紫君磐井の親族のものだとされるが、乱後もそれまでと変わらず古墳を作り続けている。宮地嶽神社は磐井の孫の二人を祀ってるし、神社の上にある古墳から非常に豪華な副葬品が出ている。鞍手町の筑紫鞍橋(くらじ)君も磐井の孫だという。奈良の桜井市倉橋の地名もこの鞍橋君から来ているだろう。知らんけど。
古代史家の故・森浩一は、「いわゆるヤマト王権のような統一政権は当時は存在せず」「争った形跡もなく」などの理由から磐井の乱の創作を疑っておられるような記事をネットで読んだが、出典不明で保留。まぁしかし乱に対する不信感は学者内にもかなり多いようではある。曰く、ほぼ内輪揉めだろうと。

筑紫君磐井と西郷隆盛

日本書紀は磐井に西郷隆盛と同じ役目を負わせたのではないか。日本書紀で、磐井の乱の前部分に長々と任那からの撤退に関する話が書かれてある。事実として任那割譲や撤退があったかどうかは分からないが、その責任を史実で磐井と大伴金村に被せた。

任那伽耶加羅と高木神

糸島のスーパー超絶豪華な弥生時代の遺跡とその付近の神社の系譜は、春日市の須玖岡本遺跡なども含め、佐賀や筑後に南下していると思う。可也山木花開耶姫、栢と柏、細石神社、高祖神社、平原・三雲・井原遺跡群、白鬚神社、與止日女神社、そして高良大社の高牟礼に繋がる。弁韓加羅諸国の高霊・伴跛国と高御産巣日神(タカミムスビ)は、で繋がっている。



その鉄の産地との関わりを放棄しようというのが任那割譲問題の本質だろうが、同時に高木神の存在意義と存続が揺らぐ大問題でもある。
この時期はちょうど砂鉄の国内産出、たたら製鉄の内製化と重なるようなので、任那から退こうという議論になったというのが理由の大きな一つにあったと思う。
そして高良大社から高木神を麓に下ろしたというのも大体この時期。



情勢不安と古墳のサイズ

巨大墳墓の築造は非現実的で不毛 - chayarokurokuroの読書ブログに書いた理屈でいくと、
筑紫君磐井の岩戸山古墳や同族の熊本の江田船山古墳などは北部九州にしては異常に大きい。情勢不安定になっていたと考えられる。伽耶北朝から隋、百済、倭、高句麗と次々に崩壊していく時代でもある。



そういう訳で、どういう訳で?、

「筑紫君磐井を祀る神社がないのは磐井の乱が無かったから~」(チコちゃんの声で再生)

追記
吉田神道の伊波比主命は磐井なのかな?
岩戸山古墳の上には吉田太神社がある。住所も八女市吉田だが。
香取神社春日大社も伊波比主命を祀る。経津主命や武甕槌と関連。