建物が白い。納骨堂のようでありカラフルに色付けされていて風変わり。
正面から
小高い御船山にあります。神功皇后が船を着けて云々と由緒にあるので古墳時代、周りは海だったっぽい。
撮影場所の後ろ側に件の図書館がある。
正面右側に隠れた駐車場から神社方面に向かいます。
小さな鈴が付けられている。鈴は販売されているようだ。
日の丸扇紋。佐竹氏の5本の骨のが有名だとか。元は公家が使っていたという。こちらは骨が9本。九躰皇子の9なんでしょうか。
江戸期の工法かな?
気合いの入った彫刻
カラフル。
こっちの扇子は骨5本。
あ、天忍骨命(アメノオシホノミミ)の骨で、納骨堂っぽいのか!(適当
本殿右側の社務所前から
カールヘア
祭神
関係図
武内宿禰の父が武雄心命で母が山下影姫、これは他と同じ。
武内宿禰とどなたかの子が平群木兎(つく)宿禰の一人しか載ってない…
神功皇后(息長帯姫)とは主従関係とあり、住吉三神が生まれたようになっている?
御由緒
神功三韓征伐の帰りに武雄に兵船を泊めたのがここ御船山になり、南嶽に住吉三神と武内宿禰が鎮座し武雄社が創祀された。
735年、初代宮司は伴行頼(とものゆきより)。
伴行頼は太宰府を通じて朝廷に奏請し、武内宿禰を主神に、仲哀天皇・神功皇后・応神天皇・武雄心命を合祀し北麓に遷宮した。
元中年中(1118~1120年)、武雄二代領主後藤資茂(すけしげ)が築城の適地と思い、現在地に遷した。
社殿の左側に進む
御神木の大楠へ
緩い坂道を下ります。
あえて人をボカシませんでした。巨大です。
樹齢3000年。日本で6番目、佐賀県内で2番目に大きい。
樹根に12畳ほどの空洞があり天神を祀る。
3000年も生きると妖気を帯びてきまして…
九州は大陸や半島に近く、情報も人も物も文化文明も真っ先に入って来る。いつ何時攻め込まれるかもわからない。常に最先端で最強でなければ国防最前線は務まらなかった。前線から遠く離れ、銅鐸で祭りしてるような人たちに対応できるんだろうか?鎖国してたわけではないですし。海外も情勢不安定でしたし。
明治で薩長土肥に大政奉還したことは倭の主力を形成していた本家に権限を返したということではないか。根本から変えなければという危機感とそれを行使するべきは誰か。企業がピンチに陥り創業者一族に舵取りを戻すように。