「伏尸神社」(ふしし・じんじゃ)は「川古の大楠」の正面にあります。若木小学校の体育館横。武内宿禰の身代わりで自刃した壱岐真根子の埋葬地と伝わるらしい神社。高良大社の本殿右側にある壱岐真根子神社の壱岐真根子です。
「川古の大楠」の駐車場から通りを渡った左斜めにこの鳥居が見える
神社の右側は小学校の体育館があります
犬が頭を下げお尻を上げるのは遊びに誘うポーズだって。
右も左も同じポーズ。
社殿ひだりの建物
九曜紋。壱岐氏は弥生文明末裔のキングクラスな感じだろうか。
壱岐真根子について
壱岐真根子
系譜
記録
松尾社家系図では壱岐氏が中臣氏・卜部氏の先祖なのね。
雷大臣とは武甕槌、建雷命のことだな。
武雄の武で筑紫のタケ、近所に朝日町中野の地名もあり、かつては甕棺の風習もあり、糸島の雷山から南下すれば倭王の系譜が武雄に繋がりがあることが何となく見える。
続きを。
社殿ひだりに金比羅さん。
だいぶんボロボロ
真根子さんの古墳はここには無さそうです。直に埋葬したのかな。
九州のこうした小さな神社こそが倭の真実を語っているかもね。と思う。
朝鮮を統一した新羅と唐に対しては建前を重視、倭の中心残党は岸信介的な方向に。坂本太郎みたいなのが正にそうですよね、知らんけど。ファンタ自慰。いやコーラ。