記紀の日本神話に登場する出雲の国譲りについてちょっと疑問に思うことを書いておこ。
出雲の弥生遺跡
出雲にある弥生遺跡では、島根県の荒神谷遺跡や鳥取県の妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)が有名。大量の青銅器や鉄器関連を出土。四隅突出型墳丘墓という出雲ならではのユニークな古墳も特徴。
これらの遺跡の年代は「よくわからない」としながらも、大体1~3世紀頃とされているようだ。
博多湾周辺の弥生遺跡
その頃の福岡県では須玖岡本遺跡や三雲・井原遺跡、平原遺跡など超絶豪華な副葬品が山ほど出ている無敵の遺跡がある。
倭奴国王が金印を貰い(57年)、帥升等が朝貢し(107年)、卑弥呼が共立され(181年)、亡くなる頃の時期にあたる。
出雲と博多湾周辺の弥生遺跡の並行
つまり、出雲の弥生遺跡と博多湾周辺の豪華な遺跡は同時代に並行しているということになる。「国譲り」があったなら、出雲王朝的なものは四隅突出型墳丘墓の遺跡の時代より前のものでなければならないとおもう。
参考として、佐賀県の吉野ヶ里遺跡の時代は紀元前5世紀~紀元前3世紀頃だという。中国は周の時代。倭は歴史にまだ登場してない。
糸島周辺にある「木瓜紋」
豪華な遺跡のある糸島周辺の神社等には何故か木瓜紋(もっこうもん)がだいたいある。神紋や家紋は唐の時代以降に日本に入って来たそうですので、紋が確実に当時の何かを実証する訳ではありませんが、所縁を示してはいるだろう。後世の後付け的に…
【参考】
- 福岡県糸島市『高祖神社』 - chayarokurokuroの読書ブログ
- 福岡県糸島市三雲『細石神社』 - chayarokurokuroの読書ブログ
- 福岡県糸島最大の前方後円墳『一貴山銚子塚古墳』 - chayarokurokuroの読書ブログ
木瓜紋と雲
福岡県久留米の高良大社にも木瓜紋があります。
公式サイト
ご由緒 - 筑後国一の宮 高良大社:公式ウエブ
「四方に開いた雲の中から、高良の神が出現なさるその瞬間をあらわしています」
【参考】
福岡県久留米市『高良大社』 - chayarokurokuroの読書ブログ
「雲」というのは出雲のことだろうか?
「木瓜紋」は出雲も破って出てきた様を示していると捉える?
土蜘蛛と九十九
九十九と書いてツクモと読みます。
- 漢字の象形の「百」から「一」を引くと「白」。
- 100-1=99
言葉遊びですが、「ツクモ」は「白」を表している。つまり新羅のこと。
「土蜘蛛」は通常はツチグモと読むのでしょうが、ツクモと読んだりしないのかな。検索する限り見つけられない。
土蜘蛛は、景行天皇や神功皇后やヤマトタケルら「タラシ王朝」「豊前王朝」と呼ばれるような田川の香春神社関係の、新羅系の神に成敗される土着の豪族を指す。
【参考】
福岡県田川郡香春町『香春神社』 - chayarokurokuroの読書ブログ
- 雲を斬った木瓜紋
- 土蜘蛛を斬った白
香春古事記
高良大社のコウラは昔はカワラと読んだとか、香春神社のカワラと高良は同じだとか、そのようなことも言われている。
また『隋書』には筑紫国の東に「秦王国」があると書いてある。
白村江での勝者は唐と新羅だが、新羅の神の末裔である息長氏が『新撰姓氏録』でズラリと真人の姓を連ね、古事記の編纂に稗田阿礼がいるのは、つまりそういうことだろう。
どういうことだ?
さいごに
結局よくわからん(笑)。出雲の弥生遺跡より以前、つまり1世紀より前に大国主の王朝が栄えていたと仮定しないと、国譲りの歴史が読めない。
梅原猛『葬られた王朝 古代出雲の謎を解く』でも読み返してみますかね。
追記
読み返したがほとんど記紀の解釈にとどまる。得るものなしかな。