佐賀県武雄市西川登町にあります神六鎮守(じんろくちんじゅ)神社に行って来ました。
場所
神六山という名前の山があるみたいなので社名はそれに因むのかな?
102号線を西に向かう右手、山の麓にある田んぼの真ん中を真っ直ぐ50メートルほど突っ切る形で細い参道が伸びていて直ぐ分かる。
由緒
由緒の説明案内板がなかったのでコピペ
御祭神:息長足姫命、藤原広嗣
祭礼日:田祈祷・7月、願成就・9月、秋祭・12月丑の日
由緒:
鎮守神社の由来
当鎮守神社の創立は後陽成帝の御宇天正15年斯波氏の家族前田備後の守管原利勝の三男前田備後の守利清織田右大臣平信長公に奉祀後従卒十余人と肥前の国唐津に浪遊し信長公の汗忌を被り山又谷を渉り身を潜め矢筈村に至り山村昼幽かにして熟々世の盛衰を観じ執弓無為意を感じ修験道に入り法名勇誉と称し其弓箭を修め矢筈大明神と号し地名を矢筈村と呼ばしむ又下二十余町の所に平野あり土地肥えて勝地あるを探り神六村と名づけ鎮守大明神と号し唐津鏡大明神の御神体を分ちて勧請し神殿を新築し茲に住すなり元禄9年11月吉日朝日村の仏師覚良信と云う人が三体の仏像を調整し御神体と崇め西方百間の処に椿枝を挿し置きたるものにて之を記念樹と云う今に其の椿は発芽しつつあり昭和9年353年とある前田利清の末孫前田家右ェ門前田清兵ェ前田庄助前田勘右ェ門前田庄三郎歴代神職として奉仕せり
神六鎮守神社
織田信長に仕える前田備後守管原利勝の三男の前田利清が従者十余人と浪人になりこの地に移り住んだみたい。こちらの神社は唐津の鏡神社から勧請した。祭神は息長足姫と藤原広嗣(ひろつぐ。 西暦715年-740年)。
振り返って
「鎮守大明神」
イチョウってこんな幹でしたっけ? この写真、微妙に油絵っぽい
拝殿
神紋は見つけられず
チワワほどの小さな狛犬。可愛らしい
狛犬は武雄市の重要文化財。
神六鎮守神社によると、拝殿の中にも狛犬が安置されているらしく、気付かなかった。拝殿の天井絵はなぜか赤穂浪士の47士だと。こちらも気付かず。
なぜ赤穂浪士?
ここの本殿が変わっている
石垣の向こうにある祠が本殿みたい。囲まれていて見えないので手を伸ばしてパシャリ
狛犬が守っている