chayarokurokuroの雑記ブログ

読書記録、書評、歴史(九州倭国説)など

武内大臣と朝倉のバカ殿様

360年生きる筈の竹内大臣が若くしてお隠れあそばされた。大変残念。ご冥福をお祈り致します。

私は武内宿禰倭国王だったんじゃないかと思っている。ある説によれば、369年に倭国の首都を博多湾岸から久留米の高良山に移した。それでその時に百済から七支刀を貰った。奈良天理石上神宮の七支刀は元は筑後にあっただろう。
それまで高良山が祀っていたタカミムスビ=高木神は下ろされ、大善寺玉垂宮と筑後熊野神社で桜桃沈輪(ゆすらちんりん)を追い払う鬼夜とか追儺(ついなさい)と呼ばれる火祭りが行われるようになった。ここから高良玉垂命という謎の人物がこの時に高良山の主になる。武内宿禰と同一視される人物。王朝交代のようなことであったかも知れない。で多分、神官の主力は以前までの日下部氏、丹波氏、安曇氏から物部氏に移っていく。

倭王武は筑紫君磐井のお爺さんかお父さんぐらいの年代の頃で、南朝朝貢を止める。武はヤマトタケルのことか? でそのあとに起こったとされる527年の磐井の乱倭国の内部紛争ということかもしれん。豊前豊後の秦王国や近江や越(のちの秦豊国)が焦点になってくる。岐阜の城塚古墳野5号もその関係だと思う。 美濃=三野=耳納だ。繋がっている。



麒麟がくる」でユースケサンタマリアが朝倉義景を演じている。その様がバカ殿っぽくて吹き出してしまいますけど、朝倉氏は高良大社と同じく木瓜紋で、日下部氏族なのですね。日下部氏は阿蘇神社の権大宮司でもある。1000年経ってますけど、ここでも九州と福井や岐阜、滋賀のあたりは繋がっている。



そういうところを探らないと古代史は見えてこないんじゃないかと思います。