chayarokurokuroの雑記ブログ

読書記録、書評、歴史(九州倭国説)など

実質的に大和朝廷(日本国)は702年から

30余国と外交


魏志』『隋書』に、倭人の30余国と国交を結んでいると書いてある。中国は倭国とは別に、その中の小国ともそれぞれ独自外交を行っていた。 その中でも邪馬台国卑弥呼が魏の時代に倭国宗主国のリーダーとして共立されていた。

倭国の都は邪馬台国時代と変わらず


『隋書』によると、筑紫より東は倭国に属しているとある。
また倭国の都邪靡堆で、『魏志』でいう邪馬臺、『北史』には邪摩堆、『魏志』でいう夜麻登を指しているようですので邪馬台国時代と変わっていないという認識だと思います。お互いどこの誰ともわからない相手と外交するわけには行きませんので、外交官を派遣しあっていた。誰それを遣いで出したと中国正史の所々に書かれてあります。



702年の遣唐使から国号が日本に変わる


遣唐使は第一回の630年に始まり894年まで数十回行われた。907年に唐が滅亡し自然消滅。
702年粟田真人らを派遣した遣唐使からは国号が「日本国」に変わっています。それ以前の外交やその他の国のあらゆる事は「倭国」が行っていた。
702年が、初めて日本国=大和朝廷外交デビューした年です。それまで大和王権はただの地方豪族だったということです。
遣唐使 - Wikipedia

旧唐書』「日本は倭国の別種」


日本国=大和朝廷は702年になってようやく外交デビューを果たし、唐(やその他外国)に認知され始めることになる。
旧唐書 - Wikipedia

「巻199上 列傳第149上 東夷」

「日本國者 倭國之別種也 以其國在日邊 故以日本爲名 或曰 倭國自惡其名不雅 改爲日本 或云 日本舊小國 併倭國之地」とあり、倭国が国号を日本に改めたか、もともと小国であった日本が倭国の地を併合したと記述されている。

日本国=大和朝廷倭国の別種。それまで日本列島をまとめていた倭国とは別物。
唐はそれまで倭国と外交をやってきたのですが、今度の外交官は日本国という所から来たと言っている。どこの誰とも分からない相手と外交するわけには行きません。唐は日本国の代理人に根掘り葉掘り質問したが、「日本人はおごっていて真摯に応えない」とも書かれてある。日本国=大和朝廷は正統な手続きで倭国と王朝交代していない為、誤魔化すしかなかったのだろう。か。

702年の大和朝廷外交デビュー時、白村江から40年、壬申の乱から30年経っています。

邪馬台国は奈良ではない


邪馬台国は魏から色々なお宝を戴いておりますけど、奈良にはその様な副葬品が見つからないという。中国とも朝鮮とも国交を示すまともな物が何も出て来ない。考古学の証拠が全然ないとは以前から言われていた。関係ない「三角縁神獣鏡」で誤魔化していた訳ですけど、橿原考古学研究所の部長さん坂靖が2020年2月に出した『ヤマト王権の考古学』で、邪馬台国は奈良ではない」と書いてしまっています。
卑弥呼とか邪馬台国とか言わないと博物館に客が入らないので」等とぶっちゃけてもいる。
「奈良が邪馬台国ではない」となると、今までの流れとして論理的必然的に奈良は倭国の都でもないということです。

白村江や壬申の乱から702年の日本国外交デビューまでの3,40年の間に倭国の都(九州だと思う)から奈良に都を本格的に移した。702年に外交デビューし、これで王朝としての日本=大和朝廷が確立した。それ以前の奈良は倭国に属した豪族。倭国の歴史書を原史料としながら712年に古事記、720年に日本書紀を成立させ、それらの資料はすべて焚書坑儒した。だから日本には古事記以前の史料が何もない。

と、こんなところだろう。歴史が失われるというのは残念なことです。そのうち日本も天皇も消されるだろう。自分たちがやったことと同じように。