chayarokurokuroの読書ブログ

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大和朝廷の成立条件?

倭国は周の時代から7世紀末まで続きましたが、それまでずっと北部九州に都を置いていたと考えています。

全国の神社では九州をルーツとする神(高皇産霊神スサノオ、アマテラス、宗像三女神櫛田大神住吉大神、志賀大神、豊玉媛や玉依媛など)を祀っていますし、筑肥式横穴式石室や装飾古墳が出雲や関東・東北まで拡がっていることなどから考えても、倭国は九州のみならず次第に全国に拡がっていったと思います。
隋書にも「筑紫より東は倭国に属する」とある。

弥生時代から九州は鉄を独占的に保有し、前漢鏡も九州からしか出土しません。地理的条件からしても得やすい位置にある。初期の「倭国」が九州を指しているのは明らかです。
舶載品の後漢鏡も九州が多いし鉄製武器もほぼ北部九州が占めます。
「鉄を制するものは世界を制す」です。

後漢末期の混乱の煽りを受け、鉄や漢鏡を保有する北部九州の王らの間で倭国大乱が起こった。
鉄製武器を持たない近畿は無関係でしょう。遠いし。
ヤクザの抗争に無関係な一般人が丸腰で乱入する理由はない。また無関係な一般人がヤクザの組長になることもない。
邪馬台国畿内説はあり得ないだろう。



日本書紀四道将軍というのが登場します。卑弥呼のちょい後ぐらいの時代だろうか。そのうちの一人の吉備津彦は温羅を討つ。
もし実際に四道将軍がいたとするなら、九州から派遣された筈です。神武天皇も九州から東征しますし。
近畿から派遣されたなら、それなりの武装が必要でしょうが、近畿は武器を持たない。
もしや三角縁神獣鏡をフリスビーのように飛ばして敵をやっつけていたのでしょうか。🥏



近畿勢が全国支配する程度に強くなるには、鉄を得たり外交するまでのルートを先に制圧しておかねばならない。
瀬戸内海や琵琶湖から日本海側、北部九州から壱岐対馬など。それらの人達が協力者になるとも限らない訳で、武力がないなら「虎の威を借る狐」的な、外部勢力と結託して押さえるとか。
単独では厳しい。古墳や埴輪の形式からしヤマト王権と呼ばれる豪族の主力は吉備勢力でしょ。



日本で砂鉄によるタタラ製鉄が始まるのは鉄の考古学者によると6世紀頃からのようです。日本書紀磐井の乱の頃に任那四県割譲問題というのが出て来ます。高霊とか伴跛国とか任那と深い関係にあり、鉄利権や外交安全保障で多大な労力を払ってきた筑紫君や大伴氏や物部氏がクローズアップされている理由は、実際に乱があったかどうかとは別な問題を含ませているのではないか。
そもそも、天皇天武天皇から始まるので、継体天皇なる人物が何処の国の何の勢力のどういう地位にある人なのかが全然分からない。今城塚古墳で熊本の阿蘇ピンク石の石棺を使うなど九州との関連もあり、畿内に入るのに20年掛かったとかいうのも謎。

砂鉄製鉄の普及で九州の倭国王権が鉄による優位性を失うということになると、別な形で国内の統治を強化する必要が出てくる。
継体は九州出身なのではないか。その正体はたとえば、火葦北君刑部靫部阿利斯登とか。吉備津彦の子である三井根子の5代孫だ。「応神5世孫」と微妙に被る…
で、九州勢はこの時代から朝鮮半島勢力を引き揚げ、武内宿禰の子孫の内である蘇我氏らが活躍し、国内直接統治の強化を進めていくことに繋がる 。
磐井の乱の真逆の評価ですけど。



結局、畿内政権というのが単独で天下を取るには(無理げ)、白村江で倭国が壊滅的打撃を受け、筑紫都督府が置かれ、筑紫君らが捕虜で唐に連行され、筑紫大地震など起こり、唐が安定し、朝鮮半島が統一新羅で安定し、壬申の乱を経て大宝律令で新たな世を整え、外交デビューし、歴史書を書き換える8世紀まで待たなければならないのではないでしょうか。