chayarokurokuroの雑記ブログ

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双脚輪状文/クラカタウ大噴火/筑紫君/蘇我氏

6世紀頃の古墳に双脚輪状文(そうきゃくりんじょうもん)という図柄が登場します。

福岡県嘉穂郡桂川町(かほぐん・けいせんまち)の装飾古墳・王塚古墳の双脚輪状文

http://www.town.keisen.fukuoka.jp/ouzuka/contents/ozuka/img/ozuka3/soukyaku.gif



双脚輪状文は数が少なく、上の桂川町の王塚古墳以外の装飾古墳では


その他、埴輪で

など全国で13例とか。

九州の装飾古墳では絵柄が古墳内部に壁画として縦や横向きに描かれている。
目玉の親父っぽくもあり、漢字の「兄」のようでもあり、内行花文鏡の柄かな?とも思えるし、太陽のようでもある。太陽からコロナが噴き出すみたいな。コロナ禍…。

一方和歌山などの埴輪の方は、シャンプーハットのように頭に被っていたり、横向きに双脚輪状文のみを象っていたり。
これらの双脚輪状文の形象のモチーフはスイジガイという貝なのではという説があるようです。

ところで、535年インドネシアクラカタウが大噴火を起こした。日本の記紀で言うと継体天皇のすぐ後の時代です。

クラカタウ大噴火は、5000キロ近く離れた場所でも爆発音が聞こえたという記録が残されている。大噴火の影響で東ローマ帝国は大干魃が起きペストが蔓延し帝国は滅亡、イスラム教ができるきっかけになる。中央アメリカではマヤ文明が滅びた。中国では火山灰が降り積もり日光は遮られ夏でも雪が降り南北朝の争いが激しさをます。朝鮮半島では雷が鳴り止まず疫病が流行り大干魃が起こった。
凄まじい自然の破壊力。

その頃の日本は(Wikipediaによると)、継体天皇の後に安閑天皇が531~535年、宣化天皇が536~539年と短期間に次々と交代した後、欽明天皇が539~571年の在位。混乱していたようでいまいちはっきりしない。金欠明らかな欽明天皇の552年に仏教伝来とされる。埼玉県の稲荷山古墳の鉄剣には「寺」も文字があるのでもっと早くに入っていたんじゃないか。で蘇我氏が台頭してくる。朝鮮半島西南部にあった九州式前方後円墳の古墳群はこの時期に建設を終える。

そして現れた双脚輪状文とその意味は。
魔除けを示すスイジガイか。降り積もるクラカタウの火山灰を洗い流すシャンプーハットか。お隠れあそばした太陽を引っ張りだすオマジナイか。荒れる情勢と「大」の権威の強調か。未来の方位を指し示す内行花文鏡の道しるべか。進む屯倉の建設と食糧備蓄。九州式装飾古墳の出雲や関東東北への拡大。不安定な政治情勢、従来の神への不信と振興する仏からの救いの手。



倭国発祥の地、筑紫。その語源説には、 かつて国境に人の半分を死なせた荒ぶる神がおり、人の命を尽くしたからツクシ・チクシとなったというものがある。
筑紫君と火君の兄弟は占いで先祖の甕依姫(みかよりひめ)を祀って荒ぶる神を静めた。
その荒ぶる神を静めることのできる筑紫君を出自不明なヲホド大王に消させた意味とは…
クラカタウの荒ぶる神を静められるのは一体…