佐賀県武雄市大字山内町の三間坂鎮守(みまさかちんじゅ)神社に行って来ました。
由緒
祭神
明治40年に以下の五社を合祀
- 大神宮
- 権現社
- 明神社
- 琴平社
- 天神社
前に投稿した黒髪神社と同じく、イザナミ・速玉男・事解男のワンセットがここでも祀られている。旦那の方は何処行ったんでしょうか。
イザナギがイザナミと別れを告げる時に吐いた唾が速玉男尊になり、掃き浄めた時に事解男尊が生まれる。
創建は見つけられませんでした。
「武雄市指定の重要無形民俗文化財 三間坂荒踊(みまさかのあらおどり)」
三間坂の荒踊は、武雄の荒踊と同様の踊り手・囃子方で構成されます。腕鉾や両手をしなやかに大きく上下させる動作など、国指定の荒踊に共通するところが多く、円陣の内側を大きく踊りながら回る部分は中野の荒踊に似ていますが、踊り全体の中で先モッショと後モッショが交互に中央に出て踊るなど相違する点もみられます。また、唄の歌詞にも相違がみられ、退場に際しては、後モッショが最後列に位置し、後ろを見せない格好で退場していきます。毎年の鎮守権現神社の秋祭り(彼岸籠=ひがんごもり)に各種浮立のあと、最後の演目として奉納されています。武雄市の文化財−三間坂の荒踊
1530年、島原の有馬氏が武雄の後藤氏を攻め住吉城に迫ったが、第18代武雄領主・後藤純明は夜襲によりこれを撃退。その戦勝祝いに即興で踊ったのが「武雄の荒踊」で、彼岸の中日に武雄市内10地区で踊られている。
その中でも中野地区の磐井八幡社、宇土手地区の正一位神社、高瀬(こうぜ)地区の松尾神社は国の重要無形民俗文化財、そして三間坂鎮守神社でも行われている。
場所
参道を神社側から
「鎮守大神」
坂をコンクリートで固めてある。馬用?
雛壇のよう
足元に梅
「三間坂」の「三間」と「三潴」は同じものなんだろうか?
「部民」がいつ頃成立したのか分からないが、「物部」の発祥はこの武雄の辺りで4世紀頃なんじゃないかと思う。ヒントに成りそうなものないかなぁと神社内を歩き回る。
特に見つけられず。
ただ、神社周辺は馬の放牧など出来そうな地形っぽい。佐賀県畜産試験場が近所にある。