佐賀県神埼市神埼町志波屋(しわや)の王仁博士顕彰公園へやってきました。
「王仁博士」はワニ・ハカセと読みます。
佐賀大学の著名なワニの研究者です(ウソ
王仁博士顕彰公園
公園・広場|神埼市
2018年8月のオープン。出来立てホヤホヤ。
5世紀初めごろ、応神天皇に招かれて、百済から多くの技術者をつれて渡来し、日本に初めて漢字の手本である「千字文(せんじもん)」と儒教の原典である「論語」を伝えた
王仁博士は『日本書紀』では王仁、『古事記』では和邇吉師(わにきし)と表記されている。伝承では百済に渡来した中国人であるとされ、楽浪郡の王氏との説もあり。
また、王仁博士が伝えたとされる千字文が王仁の時代に成立していないことから史料解釈上実在を疑問視する説多数と。
王仁 - Wikipedia
応神(おうじん)が、王仁(おうじん)と読める王仁博士(ワニハカセ)を招く。
もしや二人は同一人物なんじゃないか?!と思っている人も多そうです。
王仁関連の史跡は大阪に多いようですが、なぜ佐賀県神埼に顕彰公園を建てたんだろうか?
顕彰公園の裏に「鰐神社」というのがある。神社には「王仁天満宮」という石祠が祀られている。この石祠は、王仁博士を祀ったもので、地区は彼の上陸伝承地とのこと。
神埼市では、この王仁天満宮の石祠を「古事記」や「日本書紀」にも登場する王仁博士の歴史遺産として捉え、韓国との文化的な交流活動などを行うとともに、隣接する吉野ヶ里歴史公園との連携により、古代よりつながる日本と韓国の歴史浪漫を感じられる新たな観光施設として王仁博士顕彰公園を整備しました。
肥前には旧石器や縄文遺跡、吉野ヶ里遺跡やその他の弥生遺跡が多数あり、日本神話や倭国大乱の舞台のようでもあり、ヤマトの地名もあり、神功皇后や武内宿禰の両親や親族ゆかりの神社も多数あり、平安時代より大和朝廷の荘園の神埼荘があり、古くから国際貿易港であった土地なので、そこまで違和感は無いっちゃ無いかなと。
がしかし、王仁博士の実在からして怪しい上に、王仁がこの佐賀の土地に上陸した史料的根拠もないようである。
場所
道路の両側に太陽光パネルがたくさん並ぶ吉野ヶ里メガソーラー発電所の横。だだっ広い駐車場があるので直ぐに分かる。
だだっ広い駐車場
「百済門」
門があるだけ。
門の右手
その左に小さな資料室。展示品
先ほどの百済門の奥に進む
王仁博士
左の壁に、伝えられた文字をパネルにして嵌め込んである
壁を裏から
この先にある「鰐神社」に続く。
「鰐神社」佐賀県神埼市神埼町 - chayarokurokuroの読書ブログ