佐賀県神埼市神埼町志波屋(しわや)の王仁博士顕彰公園の裏手にある「鰐神社(ワニじんじゃ)」です。
こちらの神社には「王仁天満宮」と書かれた石祠がある。王仁(ワニ)は応神天皇の招きで百済から千字文や論語を日本に伝えたことが記紀に書かれた「王仁博士」または「和邇吉師」なる人物で、石祠は彼を祀ったものではないかとされる。ここは彼の上陸伝承がある土地だという。
場所
王仁博士顕彰公園の中の百済門をくぐり、正面突き当たりを左に曲がった所に神社はあります。
写真右側に顕彰公園の百済門
右に小さな円墳がっ!(違
上陸伝承の地
鰐大明神と王仁天満宮
この神社の創建は定かではないが、正面の鳥居は元禄十二年(1699年)に氏子三村から寄進されたものです。
御祭神として鰐大明神と熊野三社が奉られているところから、渡海者の安全を祈願されたものと思われますが、当社は王仁天満宮と刻まれた小さな石祠も奉られています。
「王仁」というのは、4世紀後半に応神天皇から招かれて百済から多くの技術者集団を連れて渡来されたと古事記、日本書紀等に記載され、日本に初めての漢字の手本である「千字文」と儒教の原典である「論語」を伝えた王仁博士ではないかと思われます。
王仁博士の一行は朝鮮半島の南西端にある上台浦(霊巖)から渡来したと伝えられていますが、日本のどこに上陸されたかは記録もなく不明です。
もし、吉野ヶ里の渡来人と同じく目の前の有明海から北上したとすれば、ここ竹原地区付近に上陸されたと思われ、ロマンに満ちた夢は大きくふくらんで行きます。
「鰐大明神」
剣花菱紋の木瓜紋?
屋根に白い鳩が付いてるそうで、写真をとり損なった。
鳩は高良大明神の神使。
次の2つが中央に位置する石祠。
左側の「熊野社」と、右手の「鰐大明神」
「熊野社」
左下の狛犬
面白い形
「鰐大明神」
右側に配されている
右下の狛犬
応神は八幡大神と同一視され、九州の八幡宮の渡来系の神とも言われる。「王仁 = 応神」だと見られる所以の一つか。
こちらの鰐神社で熊野社が祀られている。熊野社は紀伊国の神だというが、本来は脊振山の基肄(きい)だろう。そこの娘の山下影姫が、武内宿禰の母。
武内宿禰の父は、武雄の武雄心命。
武内宿禰は4世紀後半に、八幡神の王仁と、住吉大神(=筑紫大神)の底筒男命 = 高良玉垂命(月読命)とでタッグを組み、それまで高良山に鎮座していた高皇産霊神を麓に下ろして、代わりに鎮座した。
一説によると、奈良の石上神宮にある七支刀はその時に百済から貰ったものだという。
5世紀から倭の五王と呼ばれる倭国王に繋げ、有明海から南朝へ朝貢。
応神=渡来系八幡神が王だったとすると、4世紀以降は征服王朝になってしまうではないか。
江上波夫の騎馬民族征服論だ。
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「鰐大明神」佐賀県神埼市神埼町志波屋 - chayarokurokuroの読書ブログ
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