chayarokurokuroの雑記ブログ

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スサノオのヤマタノオロチ退治の舞台はここ?『櫛田宮』佐賀県神埼市

佐賀県神埼市神埼町(かんざき)の『櫛田宮』へ行って来ました。

こちらの神社は博多祇園山笠などで有名な博多総鎮守の櫛田神社の元宮で、肥前有数の古社です。
なんとあのスサノオヤマタノオロチ退治の伝説が残る。あれ?出雲が舞台じゃなかった?



場所

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国道34号線沿い、神埼市役所の真ん前にあります。
ついでに関係の深い神社にもピンを差してみました。

  • 「櫛田三所大明神」の三社

    • 赤 : 『櫛田宮』
    • 青 : 『高志宮』
    • 橙 : 『白角折宮』
  • 緑 : 吉野ヶ里遺跡

  • 茶 : 櫛田神社(博多)



『櫛田宮』『高志宮』『白角折宮(おしとり)』の三社は一体の神社で、合わせて『櫛田三所大明神』と称されました。
これらは、

と呼んで祀っています。

神埼(かんざき)平安時代より皇室領『神埼御荘』という広大な荘園で、『櫛田宮』はその神埼荘の総鎮守でした。平清盛の時代にはここから宋貿易で莫大な利益を得ていたと言います。
神埼(かんざき)」の地名は、むかし荒ぶる神で苦しむこの地に景行天皇が訪れ、災いを祀りなごめたことから「神幸(かむさち)」と呼ばれ、それが転じて「神埼(かんざき)」と呼ばれるようになったと言われています。



由緒


櫛田宮の公式サイト
櫛田宮ホームページ

■御祭神
櫛田三柱大神
櫛稲田姫命(クシナダヒメノミコト)正面御座、櫛田大明神
須佐之男命(スサノオノミコト)東 御座、 高志大明神
・日本武命(ヤマトタケルノミコト)西 御座、 白角折大明神
■鎮座地
〒842-0001
佐賀県神埼市神埼町神埼419番地1 (旧神埼市庁舎隣)


■尾崎太神楽  佐賀県重要無形民俗文化財
 石造肥前鳥居 佐賀県重要文化財(建)
 御神幸祭絵馬 佐賀県重要有形民俗文化財
 薬師如来像  佐賀県重要文化財(彫)
 締元行列   神埼市重要文化財
 櫛田宮文書  神埼市重要文化財

■「神埼(かんざき)」発祥の地
 景行天皇が今から1930余年前に櫛田宮を創祀されて以来、荒廃した地が神の幸をうける平和郷となり、神幸(かむさき)と名付けられました。これが後に神埼となりました。〈肥前風土記

■御祭神の御神徳は、国土万民の安泰繁栄を守護し、あらゆる災難を除き給う事は「神代より末代の今に至る迄、霊験あらたにして威徳世に盛に、利生掲焉にして賞罰分明なり」と櫛田大明神縁起に明記され、厄はらい・車両はらい・地鎮祭・縁結び・安産・病気平癒等の神さまとして仰がれています。

櫛田神社の元宮(もとみや)
 弘安4年(1281年)*蒙古襲来。神埼本宮より末社博多櫛田神社へ神剣を移して異賊退散を祈り、霊験あらたかなものがありました。

■当宮と南北各1里へだてて鎮座する高志(たかし)神社(千代田町田中豊宮司)・白角折(おしとり)神社(旧仁比山村朝日)とは三所一体の神社です。他にも『櫛田大明神』と刻まれた石祠などが筑紫山地などあちらこちらに祀られています。



  • 櫛田宮は紀元70年頃に出来た神社だとされている。
  • 吉野ヶ里紀元前4世紀~紀元後3世紀頃の遺跡。
  • 漢委奴国の金印が57年
  • 倭国王帥升後漢に使者を出したのが107年

倭国」と日本最古の人名かつ倭国王として名前が初めて歴史書に登場した107年より前に出来た神社ということですが、その時代は卑弥呼より前です。卑弥呼と同時代とおもわれる崇神天皇より後の景行天皇が、卑弥呼より前の時代に創建というのは辻褄が合わないと思いますが、景行は架空ということで…
ともかく吉野ヶ里遺跡のようなものがある土地に古くから神社があっても何も変ではないだろう。



写真を上げまくります。

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国道34号線沿い、神埼市役所の真ん前です。


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目立つ看板。市役所側は裏手です。駐車場がある。



「櫛山櫛田宮(くしざん・くしだぐう)」
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由緒

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市役所側から入って右手に稲荷神社
「櫛森神社」

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正一位 櫛丸神社御官職寄付紀念碑」

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森=丸、なのかな?
倭人伝に出てくる官職の「卑奴母離」のモリ→守、毛利、森、丸、麻呂…あるかも



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稲荷神社はなぜキツネなのか。紀角=キツネか?


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櫛丸と櫛森は別。森と丸が乱れて森乱丸…

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稲荷の燃える玉みたいなのは何なんだぜ?



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天満宮

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神埼発祥の地「櫛山」

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山がある訳でもないのにクシザンとはどういうわけだ。

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櫛田大神を最初に祀った場所。神社本殿の裏。もしかしてクシナダヒメのお墓かな?



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神霊鎮祭の霊域で櫛山と称す。大蛇退治の酒甕をかたどりつくったものとして伝え、災難避けに生児の頭髪を奉納する慣習がある。


ということで、大蛇退治の時に蛇に飲ませた酒の甕をかたどった石像が

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まさか弥生時代にこれだけの岩をくり貫く石工技術があったとも思えない。これ作るの大変だったろうねぇ。


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ガッチリと埋めてある



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スサノオヤマタノオロチ退治は『出雲風土記』に載っていないという。吉野ヶ里の青銅器は出雲のものと共通の鋳型で作られているものがあるのですが、もし吉野ヶ里・神埼の技術と伝説がスサノオの高天ヶ原追放などにより出雲に伝えられたとすると、大蛇退治の現場は実はここだったとも考えられる。か?

吉野ヶ里は「北墳丘墓」と呼ばれる王の墓を作った後に、王の墓を作っていない。次世代の王は別の場所に移住したのだという(ただしいくらか民は残って住み続けてはいた)。その移住先が出雲だったのかなと。共に四角い墳丘墓でも共通する。



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さて、正面側に移動する。



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本殿の左側面


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神社の左側に寺がある。浄土真宗本願寺派だとか。お邪魔致します。


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百田氏のお墓も。神社の家系なのかな。佐賀は百田さんはわりと多い。



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ジ・イトヤマタワー。さて、全ての墓石にお参りした所で、寺を出てと、



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手を突っ込みの、

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だいぶ古そうな彫刻。

隣は社務所

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拝殿正面

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屋根にバツ印で重なる剣の紋

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あれはスサノオの剣だ。間違いない。知らんけど。



拝殿向かって右側

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新しい狛犬

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このタイプの新しい狛犬は時々見かけるが、狛犬評論家みたいな神社通にはいまいちのようで(すいません


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拝殿右手

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星と月🌃が錨⚓のように組み合った紋。『振氣館』旧在郷軍人会の集会所ですって。北辰一刀流



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拝殿の右手に祇園社

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できたてか、新しい。


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祇園社の正面には相撲の土俵

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拝殿正面の門の内側

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カッコいい



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門を向かって右側に厳島神社

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琴の楠

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景行天皇が埋めた琴から眼が出て楠になったらしい。だが樹齢およそ千年。そういう琴にしておこう。
琴の楠の根元を息をとめて7回半まわると運が開けるといわれ、また琴の楠の碑には「清浄な人が息をとめて7回半廻れば琴の音が聞こえると伝えられている」。

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古そう。壊れそうだから柵に入れてあるんだろうか。夜な夜な走り回るのか。



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ヤマタノオロチの重たい鱗を運んで疲れた牛でしょうか。



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江戸初期に作られたらしい鳥居。


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組み立て式。上手いことバランス取っている。

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佐賀県重要文化財

指定は昭和39年
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長くなりました。
最後に拝殿横で護衛する狛犬を。

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弥生時代の研究から見ないとよく分かりませんね。伝説や神話は時代がごちゃごちゃに混ぜてあって。
出雲と佐賀は古くからリンクしてはいると思う。筑紫君磐井ら特有の石人石馬が鳥取米子にあったり、装飾古墳があったり、出雲国造がもともとは熊野社にいたり、弥生から時代がずいぶん下っても何となく深い関係がある。

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