chayarokurokuroの雑記ブログ

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『日本書紀』のα群β群区分論

新谷尚紀(しんたに・たかのり)『伊勢神宮出雲大社講談社学術文庫を読んだのですが、面白い説が紹介されていたのでメモします。



著者は国立歴史民俗博物館の名誉教授ですが、「天照大神=持統天皇がモデル」だとか「出雲神話は眉唾」といった若干王道を外れた非正規な感じの見方がされている。歴史学者は国家の政治的利害や立場、皇室を慮りながらも通説からチャレンジングにアウトするバランスの上手い取り方が求められるんじゃないなと思います。私は九州倭国説を支持していますが、もし歴史学者だったならそんな自説を通すのは正直難しいだろう。

本書はタイトルにある通り伊勢神宮出雲大社について論じるものですが、その論拠として森博達氏の日本書紀区分論に立脚するとし、まず先に紹介されている。この説が面白い。



日本書紀』のα群β群区分論


森博達(もり・ひろみち)氏の学説に『日本書紀』をα群とβ群に二分する区分論があるという。α群とβ群の特徴は以下の通り。

  • 【α群】

    • β群に先行して書かれた部分
    • 中国語の原音によって仮名が表記される
    • 文章は正格な漢文で書かれている
    • 原資料を尊重しながらあくまでも中国語で撰述されている

  • 【β群】

    • α群のあとに編纂なされた部分
    • 歌謡と訓注の仮名が倭音で表記されている
    • 中国語の原音で読むと日本語の音韻が全く区別不能
    • 文章は倭習に満ちている
    • 漢語や漢文の誤用や奇用ばかりで正規の漢文とはほど遠い



そして、森氏は

  • 【α群】: 渡来人(中国人)による執筆
  • 【β群】: 倭人(日本人)による執筆

であっただろうと推定した。
この二分類の有効性は、従来の多くの研究者の区分論ともよく符合するところであると著者はいう。本書はこの森氏の区分論が立論の上で十分に依拠できる学説であるとして、伊勢神宮出雲大社などについて論じている。



遠山美都男氏が森氏やその他の学者の区分論をまとめた表は次のようなもの。(p.21)

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画像追記しました。


α/β 群 岡田正之 和田英松 鴻巣隼雄 藤井信男 田吉太郎 太田善麿 菊沢李生 西宮一民 小島憲之
巻1 神代上 β群
2 神代下
3 神武 ↑↓ ↑↓
4 綏靖~開花
5 崇神 ↑↓
6 垂仁
7 景行・成務 ↑↓
8 仲哀
9 神功
10 応神
11 仁徳
12 履中・反正
13 允恭・安康 ↑↓
14 雄略 α群
15 清寧~仁賢
16 武烈
17 継体
18 安閑・宣化
19 欽明
20 敏達
21 用明・崇峻
22 推古 β群 ↑↓
23 舒明
24 皇極 α群
25 孝徳
26 斉明
27 天智
28 天武上 β群
29 天武下
30 持統 ↑↓ ↑↓ ↑↓ ↑↓

無理矢理つくった表なんで矢印が見にくい。本書の21ページを参照ください。
森氏が区分したα群/β群と、他の学者が区分している矢印が大体あっている。

たとえば、α群が最初に現れる『巻14 雄略』と、β群に分類されている『巻22 推古』。

推古は区分論でなくとも妙チクリンなのが分かりやすい。
『隋書』では倭王阿毎・多利思北孤・阿輩雞彌という男性の王だと遣隋使が述べているが、『日本書紀』では女帝・推古天皇と、明らかに別人。この矛盾は推古が後で書き換えられた部分だから生じたのか。β群の編纂者は『隋書』を読んでなかったのか。

『隋書』は国名も「俀国(たいこく)」となっているんですよね。(漢字の国で漢字を間違う理由とは?)。更に思わせ振りに「秦王国」なる国名まで登場する。秦氏の集まった国があった(たぶん福岡県の京都郡あたり)。



倭国弥生時代から朝鮮や中国と交易・外交をやっているので、位の高い階層や外交官らは中国語の読み書きがいくらか出来たのではないか。そうすると中国語で書かれたα群こそは倭国の書いた歴史とも考えられる。いや、または秦王国の物か。または白村江以降の筑紫都督府や新羅の意向で書かれた部分とか。

α群 : β群 = 渡来人(中国人) : 倭人(日本人)
という見方は強引というか無理があるかなという気がするが、
しかし、α群β群区分論、面白い。

雄略=百済人、天智=日本国を興した百済人か親百済派、天武=新羅人・唐人、みたいな我が妄想を考え直さねばか…森氏は新書を出されているようなので今度読んでみよう。