著者のロバート・B・ライシュはアメリカ人です。クリントン政権時に労働長官をはじめ複数の政権に仕えた社会経済学者で、日本語訳されたものも多数ありますので
よく知られた方だろうと思います。本書は東洋経済新報社2016年12月15日初版、訳者は雨宮寛・今井章子。
タイトルは『最後の資本主義』ですが、原題は『Saving Capitalism』。資本主義を保護しないと終わってしまいますよ、というニュアンスだろうか。
過去にライシュの本をいくつか読みましたが、文章の組み立て方が非常に上手で、初めて読んだときは感動した覚えがあります。著者の経歴を書いておきます。
- 著者:ロバート・B・ライシュ(Robert B. Reich)
- 1946年ペンシルベニア州生まれ。ハーバード大学教授、ブランダイス大学教授などを経て、現在(2016年)カリフォルニア大学バークレー校公共政策大学院教授。
ビル・クリントン政権での労働長官をはじめ3つの政権に仕えたほか、オバマ大統領のアドバイザーも務めた。
雑誌『ニューヨーカー』『アトランティック』『ニューヨークタイムズ』『ワシントンポスト』『ウォールストリートジャーナル』各紙への寄稿多数。
雑誌『アメリカンプロスペクト』の共同創立編集人であり、市民団体『コモン・コーズ』会長を務める。また公共ラジオ番組『マーケットプレイス』で毎週行っている時流解説では500万人近いリスナーを持つ。
2003年、経済・社会思想における先駆的業績によりバツラフ・ハベル財団賞受賞。2008年、『タイム』誌の「最も業績を収めた20世紀の閣僚10人」に選ばれたほか、『ウォールストリートジャーナル』誌で「最も影響力にあるビジネス思想家20人」にも選出。2013年、ライシュ自身をモチーフにして作られた映画『Inquality for All(『みんなのための資本論』ジェイコブ・コーンブルース監督)』がサンダンス映画祭ドキュメンタリー部門にて審査員特別賞受賞。2014年、アメリカ芸術科学アカデミーのフェローに選ばれる。 - 著書
- 1946年ペンシルベニア州生まれ。ハーバード大学教授、ブランダイス大学教授などを経て、現在(2016年)カリフォルニア大学バークレー校公共政策大学院教授。
国家の政治家や官僚は基本的に、国民をまとめ経済を安定化させ社会が機能し上手く回るようにしなければなりませんので、発想はどうしても社会主義的に
なるんだろうと思います。古代の社会政治思想家もそうだろうし、ケインズやガルブレイス、スティグリッツなど
近現代の欧米系マクロ経済の有名な経済学者も大体そうだろう。しかし利害関係があるために、大概これらの学者は社会主義者・共産主義者の
レッテルを貼られて、たぶんハイエクやフリードマンの信奉者みたいな者たちに攻撃を受ける。
彼らマクロ経済学者は凡そ「資本主義が勝ちすぎるがゆえにそれ自身を終わらせてしまう」と考えている。
お金をより多く持つものが有利なルールを作り出し、必然的に勝負に勝つ。強者が民から富を収奪し尽くせば民の購買力は低下し社会全体で需要がなくなり、
働く場さえなくなる。お金は天下の回り物といいます。ミダス王の如く食えない金や使えない金を持っていても仕方がないのです。
本書は、アメリカの激しい貧富の格差における時代変化、中間層の破壊や状況、政治経済がどの様にして「強者が勝つ」仕組みを作ってきたか、
それが民の暮らしや精神にどういった悪影響を及ぼしているか、長期的に好ましくないこれらの現状に対して抵抗する必要性などを、多くの具体例と
データを用いて解説されている。
政治から独立した「自由市場」などあり得ず、ほとんどの有権者は政治的に何らの影響力も持っていないという。
大企業や資本家はロビー活動を通して札束で政治家や影響力のある者たちの頬を撫で、政治は大企業や資産家に有利な法律や経済ルールを策定する。
四半期決算の近視眼的な目線で自分たちに都合の良いルールを決め、それによって富者はより富み、貧者はより貧しくなる。
しかしそのような状況がもたらす結果は、彼ら自身の為にも、それ以外の人々の為にもならない。なぜなら、そうした状況では経済も社会も立ち行かなくなるからだと。
P.216に、ライシュがカリフォルニア大学の学生に対して行った実験のことが書かれている。
学生を二人一組に分け、片一方に1000ドルを渡す。受け取る学生は相方に対し分配比率を1通りだけ提案できる。
2人の間でその分配案に合意したときだけ、2人は自分の取り分を手にすることができる。
結果として、ほとんどの提案は250ドル以上を渡すものだったという。250ドル未満の分け前を提案された場合は、大半が受け取りを拒否する。
この種のゲームは社会学者によって対象や組み合わせを変えて数千回行われてきたが、結果はどれも酷似しているという。
不公平なルールを認めて受け取ってしまうと、さらなる不公平が助長されてしまう。それを食い止めるために人間はたとえ取り分がゼロであったとしても
不公平を受け入れないような心理が働く。
逆に言うと、エリート秘密結社の談合社会ルールの内部では、不公平を受け入れない為に皆して不正している、とも考えられる。
そこでは仲間を裏切らないという公平さが指標となる。
高島俊夫『中国の大盗賊・完全版』講談社現代新書に似たような?話が載っていた。
かつて中国では、干ばつなどで飢餓が発生すると貧農が盗賊化し、なんとか続けている農家もせっかく作った農作物を盗賊に奪われてしまうので
田畑を耕すのをやめてしまう。苦労して働いたものを取られるぐらいなら、というわけ。しかもあろうことか、一緒に盗賊化してしまう。
かくて、盗賊が数万人規模にまで膨れ上がり、王朝を倒す運動に発展する。
かつてのアメリカは分厚い中間層がおり、CEOの所得も労働者平均の20倍ほどであったが、現在は300倍ほどになっているという。中間層は次第に減り、
労働者の平均所得は下降の一方である。これらの結果は経営者が激しく優秀になったからでも、中間層の能力が劣化したから起こったわけでもない。しかし
高所得者は自分が有能だから所得が高いと考え、低所得者は自分が無能だから低所得なのだ考える。実はそうじゃないんだとライシュは言う。
クルーグマンの「格差は作られた」というのも同じだ。そのように思いこまされているのだ。
しかし強者が勝つ「いかさま」なゲームの仕組みに多くの国民が気づき始めると、人心や社会は荒廃し、資本主義のみならず
民主主義にとっても危機をもたらす。盗賊の蔓延る社会になっていくのだ。
従って今こそ、壊れたバランスを取り戻せ、新しいルールを作る必要があるのだ、というのが本書の締めです。
人々が幅広く繁栄を分かち合うように設計された市場を選ぶのか、ほぼすべての利益が頂点にいる限られた人々に集中するように設計された市場を選ぶのか。
裕福でない人々に再分配する為に富裕層にどれだけ課税するかが問題なのではなく、事後的に大規模な再分配を行わなくとも、
公平な分配がなされていると大多数が受け止められるような経済を生み出す市場のルールをどのように設計するかが問題なのだという。
国民の大多数は自分の要求を満たすために市場のルールを変える力を持っている。その力を行使するためには「今何が起こっているのか」
「自分たちの利益はどこに存在するのか」そして「自分たちが力を合わせることがいかに大事であるか」を理解しなければならない。
これまでそうして来たし、歴史が何らかの指標となり、常識というのもに何らかの影響力がある限り、再びそうすべきなのだと。
「万国の労働者よ、団結せよ!」という感じでしょうか。
市場独占したロックフェラーのスタンダード石油が解体されたように、ITや製薬や金融など巨大企業もいずれ同じ道を辿るんでしょうか。
一方、日本はG7で2番目の貧困率だとか子供の7人に一人が貧困だとか言われており、極端な富の偏在が貧困を生んでいるというよりは、産業空洞化などで
仕事自体が減った、もしくは無いことが一番の問題なんだろう。よって日本の問題は本書における分配の不公平な問題意識とは少しズレている気がするが、
ITや第4次産業革命で益々仕事が減っていけば問題だとしているのはどの国も同じだろう。ベーシックインカムについても少し触れられてはいるが
具体的にどうするかといった案は特に書かれてはいない。