2021.7.10 佐賀新聞
暑い日が続きますが、考古学の激熱ニュースを。
佐賀市大和町・七ヶ瀬遺跡 「三種の神器」セットで出土 県内初、弥生後期に有力首長か
こっちは朝日新聞。他の新聞社のより出土品の画像が大きく写してある。
場所
遺跡の場所が本当にピンの場所で合っているかはわからないが、「佐賀県立コロニー跡地」とあるので目安程度に。
大和町はヤマトと読む。奈良時代以降に肥前国庁のあった場所。
嘉瀬川(かせがわ)という大きな川が流れており、肥前一宮のひとつ、與止日女(よどひめ)神社(=河上神社)が近くにある。川上という地名は、記紀に登場する熊襲梟帥(川上タケル)に関係するのだろう。佐賀の地名の由来ともなっている「賢し女(さかしめ)」で土蜘蛛呼ばわりされる「大山田女」と「狭山田女」が居た所でもある。荒ぶる神や川の氾濫を治める治水の能力があるので賢し女。
舶載の前漢・後漢鏡が合計4枚、内1枚は三種の神器セットで出土
佐賀市教委は9日、大和町川上の七ヶ瀬(しちがせ)遺跡で弥生時代後期 (1~2世紀) の集団墓地が見つかり、中国製の青銅鏡4面が出土したと発表した。うち1面は鉄刀、勾玉(まがたま)と埋葬されており、「三種の神器」がセットで出土したのは佐賀県内では初めて。佐賀平野中央部から西部にかけて有力な首長が存在したとみている。
武雄で三種の神器がセットで出ていると記憶しているのだが、「県内初めて」とあるね?
鏡の詳細
二塚山遺跡(神埼郡吉野ヶ里町、三養基郡上峰町)と同数で県内最多となった。鏡は前漢製と後漢製で直径9・5センチ~17センチ。いずれも割られた状態だった。同じデザインの鏡は県内の他の遺跡からも見つかっている。
蛇や亀をあしらった後漢鏡「流雲文縁方格規矩禽獣鏡」(径14センチ)は木棺墓の近くから出土した。素環頭鉄刀、鉄製短剣、ヒスイの勾玉も見つかり、副葬品の充実ぶりから集落内で最も地位が高い首長の墓と見られるという。
翡翠(ヒスイ)はどこででも採れない。日本では新潟長野の糸魚川の辺り。外国ならミャンマー辺り。素環頭の鉄刀は中国製か。
弥生時代の北部九州で木棺墓ってあんまり聞きませんね。糸島のスーパー豪華なお宝が出土した平原遺跡の1号方形周溝墓は木棺でしたけど。
県立佐賀コロニー跡地の工業団地造成工事を進める中で遺構が見つかり、19年9月~21年3月に発掘調査を実施した。弥生後期としては大規模な墓群で、長さ61メートル、幅25メートル。墓道を軸にかめ棺、石棺墓など251基が並んでおり、さらに広がる可能性もあるという。
高島忠平氏のコメント
吉野ヶ里遺跡の発掘調査を行った考古学者の高島忠平(ちゅうへい)氏のコメント
佐賀女子短大名誉教授の高島忠平さん(81)は「1、2世紀のクニ、王権を示す発見。吉野ケ里に隣接して“佐賀のクニ”が姿を現した点も興味深い」と話し、邪馬台国が3世紀に束ねた30のクニの一つである可能性があるとみる。
佐賀大学の重藤教授のコメント
弥生後期の佐賀平野の先進性を裏付ける発見で、佐賀大芸術地域デザイン学部の重藤輝行教授(53)は「伊都国の有力地とされる福岡県糸島市で見つかった鏡の枚数には及ばないが、それに次ぐような有力な集団が存在したと考えられる。副葬品や集団墓の分析が進むのを見守りたい」と話す。
以上。