chayarokurokuroの雑記ブログ

読書記録、書評、歴史(九州王朝)など

あれ、狗奴国の場所って日本書紀に書いてあるのね…

日本書紀』には景行天皇が九州遠征をする部分があります。

日本書紀の景行記、御木の高田行宮

秋七月辛卯朔甲午、到筑紫後國御木、居於高田行宮。時有僵樹、長九百七十丈焉、百寮蹈其樹而往來。時人歌曰、

阿佐志毛能 瀰概能佐烏麼志 魔幣菟耆瀰 伊和哆羅秀暮 瀰開能佐烏麼志

天皇問之曰「是何樹也。」有一老夫曰「是樹者歷木也。嘗未僵之先、當朝日暉則隱杵嶋山、當夕日暉亦覆阿蘇山也。」天皇曰「是樹者神木、故是國宜號御木國。」



「月が出たで~た~月がぁ~出たぁ~、あ、よいよい♪」の炭鉱節で有名な福岡県南部の三井三池炭鉱がある大牟田市景行天皇はそこの高田行宮に着いて、地域案内する場面。

むかし高さが970丈(1丈が約3m)のクヌギが立っていた。倒れていなかった時は朝日の影が杵島山(佐賀県武雄市)を、夕日の影は阿蘇山(熊本県阿蘇山)を覆うほどだったという。その神木に因んで御木ミケ(三池ミイケ)と名付けた。

970丈」と「歴木(クヌギ)」が狗奴国のヒントになっている。
朝日と夕日がつくる影が杵島山と阿蘇山を覆うというのは、狗奴国の支配圏が及んでいたことを意味し、現在でも肥前(佐賀・長崎)と肥後(熊本)と呼ぶ。



現代語訳を日本書紀・日本語訳「第七巻:景行天皇 成務天皇」 | 古代日本まとめ からお借りします。


秋七月四日、筑紫後国つくしのくにのみちのしりのくにの三毛みけ(福岡県三池)に着いて、高田の行宮たかたのかりのみやにお入りになった。
時に、倒れた樹木があり、長さ九百七十丈。役人たちは皆、その樹を踏んで往来した。当時の人は歌を詠んで、

アサシモノ、ミケノサヲハシ、マへツキミ、イワタラスモ、ミケノサヲハシ。

消えやすい朝霜の置いている御木の小橋を渡って、群臣たちは宮仕えに行くことだ。



天皇は、これは何の樹かと尋ねられた。
一人の老人が申し上げるのに、「これは歴木くぬぎ(榇)と言います。以前、まだ倒れていなかったときは、朝日の光に照らされて、杵島山きしまのやまを隠すほどでした。夕日の光に照らされると、阿蘇山あそのやまを隠すほどでした」
天皇は、「この樹は神木である。この国を御木国みけのくにと呼ぼう」と言われた。




日本書紀の景行記、八女縣と水沼君猿大海と八女津姫

つぎに、景行天皇は三池(大牟田)を北上し、八女に入る。

丁酉、到八女縣。則越藤山、以南望粟岬、詔之曰「其山峯岫重疊、且美麗之甚。若神有其山乎。」時水沼縣主猨大海奏言「有女神、名曰八女津媛、常居山中。」故八女國之名、由此而起也。



また現代語訳をお借りします。

七日、八女県やめのあがた(福岡県八女)に着いた。
藤山を越え、南方の粟崎あわのさきを望まれた。
詔みことのりして、
「その山の峯は、幾重も重なって大変麗しい。きっと神は、その山におられるのだろう」と言われた。
時に、水沼県主猿大海ミヌマノアガタヌシサルオオミが申し上げるに、
「女神がおられます。名を八女津媛ヤメツヒメといいます。常に山の中にお出でです」
それで、八女国やめのくにの名はこれから始まった。

八女は三池(大牟田)の直ぐ北にあります。『魏志倭人伝』には邪馬台国の南に狗奴国が接しているとあるので、(邪馬台国山門説なら)拍子抜けするぐらいドンピシャ。

景行天皇「あの大変麗しい山にきっと神がいるだろう」に対して、水沼君猿大海は(三潴ミズマは八女のすぐ北西にある)「八女津姫」がいると。

山門郡から矢部川を東に九州山地を登っていくと、八女津姫神社というのがある。結構山のなかで、案内されないと遭難するような所。もう少し東に進めば大分県日田市の鯛生金山(たいお・きんざん)。『魏志倭人伝』には邪馬台国では(辰砂・水銀)が採れると書いてある。金が採れる所は朱も採れることが多いようなので、条件は満たしている。 ついでに南は熊本県菊池。
ところで水沼君の「猿大海」の大海天武天皇大海人は何か関係あるんだろうか?



「藤山」の地名は現在も久留米にあります。藤大臣や藤原氏を連想する。
藤山の東に「明星山」がある。筑紫君磐井が「磐井城」を建てた場所だったかな、確か。磐井は他にも佐賀県などに城を建てている。

「粟崎」はわからない。「粟島神社」なら高良大社の下宮社のそばにあるね。粟田真人と関係あるんだろうか?



おわりに

有明海や不知火、天火明命など、「火」や「明」がつくのは阿蘇山の噴火の火なのかなと思うが、三池炭鉱の石炭も使ってたんじゃないかと思ったりしている。人類は紀元前から石炭や石油を使っていたようですが、果たして弥生時代の日本で使っていたかは…。それらしい直接的な描写はなさそうですけど。

魏志倭人伝では、卑弥呼の後に男王が立つが皆が納得せず戦が起こって1000余人が亡くなり、13歳の臺与が立つ。鯛生金山の命名が臺与から来ているのだとしたら面白い。
結局、その後の倭国がどうなったのかは倭の五王まで不明ですが、御木が倒れたということは狗奴国の結果を含んでいるのだろう。

卑弥呼はアマテラスで、狗奴国王の卑弥弓呼がスサノオなのか?
また、卑弥呼と同時代とおぼしき崇神天皇天照大神大国主を追い出した話はどういうことなのか。

これらの暗号も隠されている?