肥前国松浦郡名護屋(現在の佐賀県唐津市(旧東松浦郡鎮西町・呼子町)、東松浦郡玄海町)にある名護屋城跡に行って来ました。10年以上ぶり。
豊臣秀吉が朝鮮出兵の際、天正19(1591)に築いた城。8ヶ月の突貫工事だったというが、物凄くちゃんとした、立派すぎる城。出兵だけのためにあれだけの物を作るというのが凄い。
城の周りは全国の名だたる戦国武将の陣屋敷が一帯を埋め尽くすように建ち並ぶ。戦国武将を1つの城に固めているような、ゲームでしかあり得ないようなシチュエーションに、歴史ファンは鼻血ブー間違いなし。
場所
壱岐に最も近そうな半島の先端。半島付け根の東に唐津市内、西に伊万里市がある。道は山の中をクネクネと走っており陸行は不便。烏賊料理の専門的が数多くあります。中臣烏賊津のイカに因むのでしょうか。
直ぐ側には、かつて肥前一の宮だったという田島神社が呼子大橋を渡った加部島にあります。宗像三女神や松浦佐用姫を祀る。
写真
あまり撮って来ませんでした。
名護屋城の駐車場から撮影
見にくいが、黄緑色の部分は戦国武将らの武家屋敷。かなり広い範囲に広がっている。
城内
各武将と兵力の表
雨が降りそうだったので城跡見学は飛ばして、敷地内にある歴史博物館へ。
主に石器時代から近代までの肥前と朝鮮の歴史が展示されている。内容は結構充実している。
現世人類が最初に日本列島に入って来たのも肥前から、稲作も青銅器も鉄も、その後のキリスト教だとか西洋の武器や学問なども大体この辺りから入って来ますので、日本史を理解するには避けられない場所です。いろいろ公表していないことがたくさんあるかもね。