佐賀県唐津市の鏡山にある鏡山稲荷神社と鏡山展望台に行きました。
唐津の広いバイパス国道202号を福岡市方面へ走っていると右手に赤くて大きな目立ちすぎる「鏡山」鳥居。それをくぐって登っていくと、鏡山展望台と鏡山稲荷神社はあります。
「鏡山」の名前は神功皇后が山の山頂に鏡を奉納したからだとか。何でもかんでも神功皇后。
鏡山は筑豊の田川郡香春町にもあるそう。
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香春神社の裏山は本物の銅山で辛国息長大姫大目命という神功皇后と同一視される新羅の神を祀る。
また、久留米の高良大社の物部氏から枝分かれする大祝の鏡山氏もこれに関連するのだろう。田主丸出身で鏡山猛という九大の考古学歴史学者がいらっしゃいましたね。
地図
「鏡山」のデカい鳥居からずっと山を登っていくと広い駐車場がある。
右側は駐車場と展望台、そのまま真っ直ぐ進めば松浦佐與姫を祀る神社、左側が鏡山稲荷神社。
松浦佐與姫(さよひめ)は夫の大伴狭手彦(大伴金村の三男)が朝鮮出兵するのをこの鏡山から眺めていた。そして呼子の加部島の田島神社まで追って行って、そこで泣き晴らして石になった。
「カエル」と「イチョウ」は高句麗との関係を匂わしているのではないか? と思いながら常々、神社や遺跡巡りしている。理由はわからないが何となく。
なぜ山の山頂に稲荷神社なのか。日本最古の水田跡「菜畑遺跡」がある唐津としても。そして稲荷はなぜキツネなのか。(紀角をキノツノではなくキツネと読む説が佐賀の櫛田宮に行ったとき降って来た)。
物部・鏡山だからか、三つ巴紋。
三つ巴紋は八幡大神の紋とされる。「巴紋」は吉野ヶ里遺跡や奴国・須玖岡本遺跡などから出土する「巴型銅器」を基にしているのではないか。吉野ヶ里では楯に描いて魔除けにしたりした。
ここから、展望台に向かいます。舗装道路・公園内を歩いて5~10ほど。急な坂はありません。
「神功皇后の度瓊可久岩」とにかく岩、名前が良い。
下に鳥居が見える。降りていく。ちなみに後ろは池。
真ん中にある大きな岩が度瓊可久(とにかく)岩。先史時代からの鏡山の磐座なのだとか。
神功皇后が三韓御親征のみぎり、九月九日(重陽の日)を期しての出陣にこの鏡山に登り、「とにもかくにも」御神勅を頂きたいと五百枝(いおえ)の真榊(まさかき)に真澄(ますみ)の鏡を捧げ、天神地祇(天神地祇)に戦勝を祈願された由緒深き「磐座(いわくら)」であります。この「磐座」と沖に浮かぶ神集島(かしわじま)の島尻(しまじり)を合わせ船出せよ。「必勝(かならずかつ)」との御神託があり勇躍出陣された古事があります。(鏡山神社宮司 本田正博)
岩など同じようなものが周りにゴロゴロしている訳ですが、なぜ磐座はその岩なんだろう?
とにかく岩。墓石かな? 隕石とか?
展望台のほうへ先に進みます。
佐用姫が狭手彦を見送っている像。
鏡山は佐用姫が領巾を振る山だから別名を領巾振山(ひれふり山)というそうな。領巾(ひれ)とは婦人が正装で肩に掛けた薄い細長い布。
海は鏡山の北にある。北東に糸島や福岡市、北西は呼子や伊万里の方角。