chayarokurokuroの雑記ブログ

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福岡県糸島市雷山「雷神社」

糸島市の雷山(らいざん)の中腹にある雷(いかづち)神社へ行きました。雷神宮(らいじんぐう)とも呼ばれるそう。ライジングさん…



雷山には雷山神籠石(らいざん・こうごいし)という古代の山城?跡がある。いつ誰が何のために作ったのか不明なのですけど、雷神社はその近く。興味深げ。

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県道564号で雷山に登ります。途中の雷山千如寺大悲王院(せんにょじ・だいひおういん)を通りすぎ、2分ほど走れば神社の駐車場と巨大な杉が目に飛び込んで来ます。



「雷山千如寺縁起」によると、雷山は曽増岐(そそぎ、そそき)山とよばれ、水火雷電を祀る曽増岐神社があり、古来から雨請いの祈祷が盛んに行なわれていた。上宮、中宮、下宮があり、中宮は雷神社とよばれ、下宮は笠折権現とよばれていた。それら上・中・下の三宮の神宮寺が千如寺であり、江戸時代までは神仏習合の山であった。しかし明治維新神仏分離令により中宮(現・雷神社)にあった仲之坊は廃寺となり、本尊をはじめすべての仏像、古文書などは大悲王院に移された。千如寺 - Wikipedia

神仏習合で女人禁制だったようです。



曽増岐(ソソギ)山。初耳です。
曽増岐をソマキなどと読むと、 崇神天皇の時代に登場する物部の祖伊香色雄命の父親の大綜麻杵命っぽくなる。

先代旧事本紀』ではニニギの兄のアメノホアカリ饒速日命の事といい、このニギハヤヒも物部の祖ともされる。こちらは神武天皇時代。
初代神武天皇と第10代崇神天皇は共にハツクニシラスという別名を持つので同一視されたりするが、「物部の祖」とされる人物は邪馬台国の「一大率」の関係か何かだろうか。物部の祖とされる人物には他にもウマシマジ夏花がいる。

「物部」という部民的なものが日本に入って来るのは北魏とかの時代なんだろうが、ウマシマジというのは4世紀頃の武内宿禰や弟のウマシウチとか、七支刀の倭王の時代かな。応神の頃。その頃に「物部」というものが出てきたんだろうと思う。

まぁいいや。神社を見ていきましょ。



雷神社の祭神

の五神を祀る。



雷神社まえ

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広い駐車場があります。

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この杉は樹齢1000年ぐらいらしい。デカい。



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この場所付近で拍手をすると神様が応えて下さるらしい。山幸彦ならぬ山彦でしょうか。後でネットで知ったので試しておりません、残念。予習は大事。



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「雷神宮」

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とても立派な灯籠。

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白蛇!



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爽やかな場所です。秋は千如寺と共に紅葉が綺麗らしく参拝する方も多いとか。
伊都国長官ニニギと木花開耶姫の紅葉のセット。

上宮はGoogleマップで見たら道路沿いに無い。登山ですかね。
雷山神籠石は雷神社や千如寺より低い位置にある。登る道の途中に案内板は出ているが、近くに駐車場はない。こちらも登山か。Twitterを検索するとバイクで近くまで行けるようですが。



千如寺(せんにょじ)は、真言宗大覚寺派の寺院で、寺伝によると178年に天竺(インド)霊鷲山の僧「清賀」が渡来し、開創したとされたという。仏教伝来は欽明天皇時代というのは…

江戸時代に記された筑前国風土記によると、奈良時代聖武天皇の勅願により、インド出身の僧「清賀」により開創されたと記されている。千如寺 - Wikipedia



外交官が必ず滞在する国際シティ伊都国。卑弥呼の時代にインドの僧が来ていたとしてもおかしくはないかも。金官伽耶首露王の奥さんはインドの王族の娘ですし。

4世紀末?の応神・武内宿禰時代に登場する雷大臣=中臣烏賊津と雷山は雷繋がりで何か関係あるかと思っていましたが、何も出てきませんでした。

中臣烏賊津の父親は臣狭山命(おみさやまのみこと)という。臣狭山の母親は物部の祖・伊賀色雄の娘の 新川媛命だとされる。 臣狭山命 - Wikipedia


允恭天皇の時代にも中臣烏賊津という人物がいるようです。何百年も生きる人達が出てくるトンデモな書物ですから、同姓同名が何人出てきても驚きません。



雷山の別名の曽増岐(ソソギ)をソマキと読んで無理やり大綜麻杵イカガシコオと物部に繋げば、雷山と中臣烏賊津が繋がらない事もない。
また中臣氏の祖の天児屋命は栲幡千々姫の兄弟という。栲幡千々姫と忍骨耳の子がニニギ。雷神社はニニギを祀る。家系図などどうにでもなりそうではあるけど。



そういえば、さいきん蒲池明弘『邪馬台国は「朱の王国」だった』文春新書を読み直したが、ふと、千々姫のチチは丹生(にゅう、にう、辰砂)の事かな?と。p.53には「糸島は朱の交易都市か」という項がある。魏志倭人伝には交易を監督する「大倭」という官名が出てくる。 九州倭国は鉄の輸入を玄関口で押さえていた筈です(この「大倭」は奈良の「大和」の元の地名を指してはいない)。



瓊々杵(ニニギ)の「瓊」は「赤い美しい玉」という意味で、「ぬ」とも読むそうです。「奴国」の「ぬ」? 赤い玉が辰砂の事だとすれば… ニニギは辰砂王の伊都国長官。

妄想が拡がります。