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若井敏明『謎の九州王権』祥伝社新書

2021年3月10日初版。

著者経歴

若井敏明 1958年奈良県生まれ。大阪大学文学部国史学科卒、関西大学大学院博士後期課程単位取得退学。「古代国家と僧尼」で博士(文学)。専門は日本古代史。現在は、関西大学佛教大学神戸市外国語大学非常勤講師。著書に『平泉澄』『仁徳天皇』『邪馬台国の滅亡』『「神話」から読み直す古代天皇史』など。



「九州王権」「九州王朝」と呼ばれるものは一般的に邪馬台国を含めた「倭国」を指しています。前書きにあるように、有名どころの古田武彦説では「九州王朝は弥生初期~7世紀末まで九州に王朝があったとしている」のに対して、著者は「中国・朝鮮の史料の全ての「倭国」を九州とするのは無理がある」という理由から「倭の五王ヤマト王権」という説を採ると断ってある。
著者の説は、2020年に出版された坂靖『ヤマト王権の考古学』と大筋は似ています。坂氏は考古学の立場から「邪馬台国畿内に求めるのは無理がある」としますが、著者の若井氏はそれを文献史学から説明を試みます。

江戸時代の尊皇派の国学者などは「奈良には天皇がいるのに、記紀にも登場しない女王卑弥呼と云う者が同じく奈良にいる等というのはオカシイではないか! o(`ω´)o」と考え、邪馬台国九州説を採っていたのですが、本書もいわば『記紀』の物語を若井氏好みに書き換えたものが説得力を持ち得るか、という事がポイントになります。
記紀』の物語を読み替える際の材料としての説得力で言えば、文献史学より坂靖氏(または関川尚功氏など)の考古学の方が軍配が上がります。被告人や目撃者の証言が信用足り得るかを考察する際に、検察の筋書きより警察の科学特捜部の物的証拠が決定打になるように。
一方で、文献史学または考古学の側が、互いの説や材料を安易に用いて歴史の解明を行うことは学問的に好ましくないということもあるようですし、素人の妄想がアンタッチャブルな国家的幻想を気ままに引っ掻き回すような事をプロはやり難いという政治的立場もあるのでしょう。全体的に控え目、特に目新しいものではない印象。



内容として、本書の前半は主に『魏志』『後漢書』などを用いて中国・朝鮮・日本の情勢・状況解説。邪馬台国は九州の有明海沿岸にあったとしている。後半は景行・ヤマトタケル・仲哀・神功・武内宿禰などの九州平定と、その後の九州を筑紫君磐井の乱まで『記紀』『風土記』などで説明。景行・ヤマトタケル神功皇后などは歴史学者の中でも架空説がありますが、それらの考察は一切なく、ほぼ『記紀』の踏襲。



気になった点

  • 狗奴国の王は卑弥弓呼で官が狗古智卑狗ですが、p.36には「王は狗古智卑狗」と書いている。その数ページ後に『魏志』から卑弥弓呼が王である部分を引用してありますが、なぜp.36にわざわざ間違いを書いた?

  • p.180 八女古墳群の「石人山古墳」のルビを「せきじんやま」と書いているが、せきじんさんです。



  • p.200 「石人は石人山古墳からはじまると言われている」とあるが、大分県臼塚古墳が最古の石人とされている。何か意図がある?



  • 「筑紫君磐井がヤマト王権から派遣された国造だ」という説の根拠は、全くない。『古事記』では筑紫「国造」ではなく筑紫「君」だし、「筑紫君」はその後も薩夜麻が登場する。同じ説を挙げる学者で、このへんをちゃんと説明している学者は皆無。



著者の説への疑問点

著者だけでなく坂靖氏や、その他の「ヤマト王権を(中央集権的に見る説)」日本古代史全般に対してですが、

倭国は、702年に「日本国」が初めて遣唐使を行うより前まで存在しています。ヤマト王権なるものが景行か継体などで九州倭国を平定したとすると、その後も倭国は存在している以上、その時点で「倭国滅亡」または「倭国=ヤマト王権」もしくは「九州倭国=ヤマト王権の属国」になっていなければならない。

ところが、『隋書』には「筑紫国より東は倭国に属する」「倭国の都は邪馬台国者也」と書いてあるし、『旧唐書』は「倭国と日本国(ヤマト王権のこと)は別種」と書いてあり、壱岐連博徳の書にも「別種」という記述がみえる。『梁書』では倭国と別に関西以東(?)に「文身国、大漢国、扶桑国、女国」などの国名が出てくる。また白村江の戦いの後に筑紫都督府が置かれたのは筑紫が倭国の都だったからに他ならないと思う訳で、これらの疑問や矛盾を解決する説明をしなければ全く説得力に欠けるんじゃなかろうか。しかし古代史学者は言及すら避けている。


本書は筑紫君磐井の頃までしか書いていないので『隋書』や『旧唐書』云々からの矛盾は届かないですけど(笑)。

古墳時代の 「ヤマト王権」が無理筋なのでは。