怪しい。
第19代・允恭天皇(いんぎょう)
- 5世紀前半に実在したと考えられている人物。
- 和風諱号 : 雄朝津間稚子宿禰天皇
- 父親 : 仁徳天皇(大鷦鷯天皇)
- 母親 : 葛城襲津彦の娘・磐之媛
- 皇后 : 忍坂大中媛(応神天皇の皇子・稚野毛二派皇子(若沼毛二俣王)と弟日売真若比売命(日本武尊の曾孫)の子)
- 陵所 : 恵我長野北陵
- 皇居 : 遠飛鳥宮
- 子女 : 木梨軽皇子、安康天皇(穴穂)、雄略天皇(大泊瀬幼武・大長谷王)、ほか。
- 事績 : 諸氏族の氏姓の乱れを正すため、飛鳥甘樫丘にて盟神探湯(くがたち)を実施、ほか。
允恭天皇の妻・忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)
- 特記
九州臭の要素を拾い出す
和風諱号の雄朝津間 : 福岡県久留米の高良大社麓に「朝妻」という地名がある。
皇后・忍坂大中媛の大中 : 福岡県小郡に「大中臣神社」がある。
応神時代の王仁博士は佐賀から上陸した伝説がある。
仁徳天皇と佐賀。点在する若宮神社はだいたい仁徳を祀る。福岡の西新町遺跡は弥生時代からカマドがあるが、全国的に拡がるのは相当後の時代。玉依姫と竈門神社。
遠飛鳥宮と遠朝廷
恵我長野北陵と雄略の獲加多支鹵、佐賀の与賀、江田船山古墳の鉄剣銘文、
武雄伊万里長野、佐賀の江頭・江藤氏。
江藤新平は明治新政府の東征大総督府軍監、徴士、制度取調専務、左院副議長(初代)、文部大輔(初代)、司法卿(初代)。飛鳥甘樫丘は甘木?
刑部と熊本の火葦北君刑部靫部阿利斯等、筑紫君磐井の岩戸山古墳の石造の裁判描写。
神八井耳の末裔・闘鶏氏(つげうじ)と黄楊(ツゲ)。福岡県朝倉や嘉麻(かま)にまたがる古処山のツゲ原始林。櫛の材料。素盞嗚尊と櫛稲田媛。金官伽耶の首露王の妻・許黄玉と朝鮮半島から出土する九州系土器・青銅・鉄器。伴跛国・大加羅と大伴と飯江と八重と南風とハヤ。
都祁水分(つげ・みくまり)神社と久留米の朝妻の味水御井神社(うましみず・みい)
忍坂は太宰府の石坂か? 意柴沙加。隅田八幡神社、八幡宮の本家は九州。日下部、草壁吉見社、高良大社草壁氏。和歌山と紀氏、筑紫紀氏と基肄城、五十猛、太宰府、香椎、武内宿禰、紀角氏、山下影媛、壱岐真根子。
福岡県朝倉市の秋月小学校近くに長谷山、佐賀県基山の久留米基山筑紫野バイパスの園部IC~宮浦ICの間に長谷郷の地名。大長谷稚武の長谷。
武内宿禰の末裔・若子宿禰が雄朝津間稚子宿禰天皇か?
若子宿禰は『日本書紀』に表記なし。江野財臣の祖。石川や越の射水臣・利波臣・江沼国造・蘇我氏などと関連。1代前の反正天皇(多遅比瑞歯別天皇)後。
江野は榎か? 太宰府の榎社、榎の大木があった。