chayarokurokuroの雑記ブログ

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福岡県大川市の初代・阿曇磯良と風浪宮(続き

福岡県大川市風浪宮(ふうろうぐう)、前回の続きです。



本殿を左に回ります。

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拝殿の左側に白い看板があります。風浪宮の創建は西暦192年で1800年以上の歴史を持ち、本殿は1560年に筑後十五城筆頭大名の蒲池鑑盛が再建したものですが、現在改修工事をやっているようです。令和4年の3月に終了予定。看板はその案内。

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門をくぐって左側に社務所

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社務所の玄関に虎っぽい狛犬が。

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「風浪神社五重塔

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この石造りの五重の塔は筑後の石工、藤原介嗣(助継)の作といわれ、基壇部分に正平十年(1355年)の年紀銘があることから俗に「正平塔」と呼ばれています。
以前は拝殿の前にありましたが、明治になって現在の位置(社務所向かって右側)に移された云々。

藤原介継(助継)については他の神社などにも作品を残しているようです。

参照

http://www.fsg.pref.fukuoka.jp/bunka/contents_detail.asp?table=t61&fields=f2293&id=2028-19&bunrui=kenn_yuke_biju_koko


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五重塔の後ろ左右に八女古墳群の筑紫君磐井の岩戸山古墳などにある武装石人や楯の石造があるが、レプリカらしい。


模造品をおいた曰く

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境内社「梅乃宮」
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御祭神は、木乃花咲耶姫をお祀りしており、良縁成就・恋愛成就などで御神徳を仰がれています。
木花咲耶姫なのに「桜」ではなく「梅」。



境内社「松風稲荷神社」

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御祭神は、松風稲荷をお祀りしており商売繁盛、五穀豊作などの御神徳があると言い伝えられ、筑後国十社稲荷の一社として崇敬を集めています。


松風稲荷神社の鳥居の左奥にある手水舎

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回り込む。

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本殿左側、松風稲荷神社の前

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中へ入る。右手が拝殿、左手が本殿。
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天狗👺

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境内社「岩藤稲荷神社」

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御祭神は、岩藤稲荷をお祀りしており、商売繁盛五穀豊作などの御神徳があるといわれ、松風稲荷神社と共に筑後国十社稲荷に数えられています。



境内社「月読社」

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御祭神は、月読神をお祀りしており、眼病平癒などに御神徳があるといわれています。


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月読は資料によっては住吉三神の三男の高良玉垂命などとしてあるものもあったと思うが謎。



本殿の裏側には竹を植えた区画があり、石造りの垣根で囲ってある。

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「風浪神社」
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本殿を裏側から拝む方向に鳥居が配置。


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本殿の裏に竹林があり、その裏は大川中学校跡地がある。学校は移転した。

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本殿右奥から拝む本殿

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裏から見た本殿の屋根。見えにくいが金色に輝く神紋が3種類ついている。真ん中が州浜紋(すはまもん)で、左は三つ巴紋、右は五七桐紋(たぶん)。



境内社「薬師社」

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御祭神は、薬師神をお祀りしており、薬の神様として病気平癒などの御神徳を仰がれています。



境内社「蛭子社」

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御祭神は、蛭子神(えびす神)をお祀りしており、招福の神様として幸福招来・金運上昇などの御神徳を仰がれています。



境内社「天満社」

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天満宮関連で、風浪宮から東に12キロほど離れた筑後市に九州第二天満宮といわれる水田天満宮がある。鎌倉時代の嘉禄二年(鎌倉時代1226年)に菅原長者大蔵卿為長朝臣後堀河天皇の勅命により建立したもので、太宰府天満宮筑後支所のような荘園管理などの機能をしていた。



本殿右側から

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拝殿右側に立つ白鷺の楠を門向かいの方向で。

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拝殿右側から。



門の裏にある狛犬
f:id:chayarokurokuro:20211224105856j:plain 陣内氏。大川市出身の「ザ・ロッカーズ」のボーカルで俳優の陣内孝則氏の名前も境内のどこかにあった…

境内社祇園社
門の外の手水舎の横にある。

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御祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)をお祀りしており、厄除け・悪疫退散などの御神徳を仰がれています。又、柳川藩立花家の出城でもあった酒見城の鬼門の守り神としても知られ、屋根瓦には立花家紋が彫られています。

大川は柳川藩の領地です。柳川藩の立花家は立花宗茂から始まりますけど、家紋は祇園守紋(ぎおんまもりもん)という。銀杏とバツ印に交差した巻物をモチーフにしたデザイン。
佐賀では素盞嗚尊を高志(たかし)明神と呼び、素盞嗚尊を祀る高志宮や櫛田宮(佐賀)は剣がバツ印に交差した神紋。



もう1つ「幸神社」という境内社があったが写真なし。




ここからは、風浪宮の前にある風浪宮外苑・大川公園を見ていきます。


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大川市出身で「古賀メロディー」で親しまれている昭和の歌謡曲作曲家・ギタリストの古賀政男氏の名前が。

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「酒見貝塚
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酒見貝塚弥生時代にこの地に住んでいた人々が食べた貝などを捨てていた所です。大正十五年(1926)、大川公園のため池を掘ったとき、たくさんの土器類が掘り出されたことで発見されました。
酒見貝塚からは牡蠣殻が大量に出土し、シジミや赤貝なども混じっていました。米の収穫の際に使用する石包丁や石鎌の破片、作業台などの道具も、壷や甕などの弥生土器とともに出土しています。出土した土器には火にかけられた痕があり、貝を甕で茹でたり作業台で割ったりして身を取り出していたと考えられます。他にも投弾(狩猟具の一種)や浮子なども出土しており、この辺りの人々は、漁労を中心に狩猟や農耕などを行っていたと推測されます。


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右の「風浪宮幼稚園」の下に「箱式石棺」と「支石墓」が見える。初代・阿曇磯良の墓だとか。

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横を花宗川(はなむね)が流れている。筑後川の支流。

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磯良丸神社」と「磯良塚

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風浪宮(しらさぎ)幼稚園の敷地内にあり、入れない。正面の朱色の社殿が磯良丸神社で、上の酒見貝塚の説明板の地図では箱式石棺の場所にあたるっぽい。
その右隣に木が立っていますが、その下に磯良塚がある。これが初代・阿曇磯良丸の墓だという。日本最大の支石墓らしい。
明治36年(1903年)に巨石の発掘調査をした際、出土した甕棺墓の中に人骨が埋葬されており、恐ろしさのあまり甕を元に戻して埋めたらしい(笑)。考古学者が「恐ろしさのあまり」って、そりゃ無いだろ(笑)。

画像が貼ってあるサイトのリンクを置いておきます。
山歩き 古墳巡り 風浪宮



長くなりました。以上です。
初代・阿曇磯良丸の支石墓まである阿曇族が拠点にした神社。とても興味深い所です。長野の安曇野(や八面大王)、静岡の熱海、滋賀の安曇川など、阿曇族に関連する地名は全国に拡がりがある。その初代が卑弥呼時代に筑後にいたという事がどういう事を表しているのでしょうか。

ここに、九州王朝のヒントが隠されておりますよ!