福岡県久留米市の高良大社の麓にある祇園山古墳(ぎおんやま)に行きました。
卑弥呼の墓説のある古墳。弥生末期~古墳前期に作られた方墳です。
場所
高良下宮社から移動しました。徒歩1分。
高良大社の一の鳥居(石造大鳥居)をくぐり、高速道路の下をくぐったらすぐ右折。そのまま高速道路沿いを行くと祇園山古墳で行き止まりになっています。
未舗装の砂利道になる。
砂利道の入り口に表示板
振り返る。画像左側が高速道路。
砂利道向かって左側
砂利道を進むと行き止まり。正面の墳丘が古墳
左手に竹林。私有地か、鍵が掛かっている。
急斜面を登ります。右側に案内板が見える。
近づいて激写
祇園山古墳(ぎおんやまこふん) 久留米市御井町二九九-二一九他 福岡県指定史跡 昭和五三年三月二五日指定
祇園山古墳は、古墳時代前期に築かれたと見られる古墳です。墳丘形態は方墳(ほうふん)(平面形が方形の古墳)で、規模は東西約二三.七メートル、南北約二二.九メートル、高さ約五メートルを測ります。墳丘は本来の地形を整形した上部に盛土を行うことにより構築されており、墳丘裾部(すそぶ)と上段の盛土部分には葺石(ふきいし)が確認されています。
埋葬施設(まいそうしせつ)は、墳頂部(ふんちょうぶ)のほぼ中央に納められた箱式石棺(はこしきせっかん)です。石棺の大きさは、底部付近で長さ約二メートル、幅約九0センチメートルで、棺内には蓋石(ふたいし)も含めて朱が塗られていました。石棺は古い時代に盗掘を受けたと見られ、内部からの副葬品の出土はありませんでした。
祇園山古墳は、現在久留米市内で確認されている古墳の中で最も古い段階に築かれた首長墓(しゅちょうぼ)です。
祇園山古墳の墳丘外周からは、発掘調査時に甕棺墓(かめかんぼ)三基、石蓋土壙墓(いしぶたどこうぼ)三二基(未調査五、不明二を含む)、箱式石棺墓七基、竪穴式石室(たてあなしきせきしつ)一三基、不明七基の埋葬施設が確認されています。また、第一号甕棺からは、銅鏡片や勾玉(まがたま)・管玉(くだたま)が出土しています。
まとめてみると、
- 祇園山古墳
- 祇園山古墳の外周の墓
- 甕棺墓 : 3基
- 第1号甕棺からは、銅鏡片や勾玉・管玉が出土
- 石蓋土壙墓 : 32基
- (未調査5、不明2を含む)
- 箱式石棺墓 : 7基
- 竪穴式石室 : 13基
- 不明 : 7基
- 甕棺墓 : 3基
右側は九州自動車道(九州縦貫自動車道)。画像は熊本方面を向いて写している。
久留米市内
盛土部分に登る。
箱式石棺がむき出し。蓋がない。長辺が南北に向いている。
余談で、糸島の平原遺跡1号墳は東西に向いた木棺墓。西枕。
福岡方面
佐賀方面。正面の山は脊振山か。
久留米市、三潴方面
見下ろす
参考リンク
祇園山古墳のある山は祇園山(赤黒山)という。
出土品は太宰府市の九州歴史資料館に展示されている。
意外と充実した内容。説明板より詳しい説明が載っている。
祇園山古墳の外周からは66人分以上の墓が見つかっていると。
甕棺墓は弥生時代に北部~中九州(一部鹿児島まで)で流行った墓ですが、年代や作られた場所などで細かく分類されている。祇園山古墳外周の甕棺墓は糸島系のものらしい。方墳は吉野ヶ里の影響だろうか。糸島の平原遺跡1号墳も12m角ほどの小型の方墳だが木棺墓。
高良下宮社に被葬者のヒントが隠されているようです。