chayarokurokuroの雑記ブログ

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福岡県筑後市溝口『溝口竈門神社』

マンガ・アニメ『鬼滅の刃』で一躍有名になった溝口竈門神社にやって来ました。

f:id:chayarokurokuro:20220111203641j:plain 矢部川の土手の上から



前回投稿の八女市馬場の熊野速玉神社からの移動です。距離にして5.6キロ、車なら10分程度。徒歩は1時間以上掛かる。自転車で20分。
矢部川の土手を下流方面に下りました。



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御祭神

  • 玉依姫命
  • その左右に春日大明神・住吉大明神


玉依姫綿津見大神の娘かつウガヤフキアエズの奥さんで、さらに神武天皇の母
春日大明神は志賀大神のことで阿曇族の神です。住吉大明神も含め、全て海神を祀っている。

太宰府の竈門神社は玉依姫のほかは、神功皇后応神天皇のようだ。



御由緒

創建は1014年 。(第67代三条天皇の長和3年 )、南北朝時代以前よりこの地にあった溝口城の城主溝口正重が、太宰府宝満山(竈門山・御笠山とも言う)の竈門神社より勧進し、溝口集落西部(現在、古宮がある場所)に神社を作り、溝口300戸の氏神様として祀られました。
南北朝時代に入り、溝口城の北東(鬼門)に当たり、溝口城の馬場でもあった現在地へ移されました。



ご利益 : 玉依姫命は良縁の神様ですので、縁結びのご利益があると言われます。また「かまど」にかけて古くから台所の火事火難除けのご利益があると言われます。



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「竈門神社」一の鳥居、結構新しい



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「寳満宮」二の鳥居。太宰府宝満山からの勧請なので



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立派な門。桐紋が光る



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筑後市指定文化財(天然記念物) 竈門神社 社叢(しゃそう)

筑後市指定文化財(無形民俗文化財) 竈門神社の千燈明(せんとうみょう)
この社叢は、楠・樫・銀杏などの樹木からなっていて、竈門神社の鎮守の杜として、地域の人々に守られています。溝口地区の集落からは離れた場所に独立していて、矢部川右岸堤防脇の田園風景の中に偉容を誇っています。

筑後市内には、県指定文化財の「水田の森」がありますが、それ以外では市内でも有数の社叢になっています。

また、竈門神社では、毎年九月の敬老の日前夜に千燈明が行われます。平成15年までは、9月15日に行われていましたが、古くは9月9日に行われる、竈門神社の夏祭りでした。

本殿の東側に溝口城の楼閣が、蝋燭の火で浮かび上がります。また、本殿の両脇には、「奉納」の文字も33本の蝋燭で作られます。かつては、水田、酒井田(八女市)の並んで筑後三大千燈明と言われていましたが、現在では水田と溝口のものだけが残っています。

平成16年9月 筑後市教育委員会



千燈明って竈門炭治郎の父親が七支刀を振り回すときの火祭りだろう、知らんけど。



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溝口竈門神社の横に井上三綱という洋画家の生家があったとか。

井上三綱(いのうえさんこう)[1899~1981]は、坂本繁二郎に師事し洋画を学びました。その後、日本美術を洋画で表現する方法を研究した三綱は、屏風絵風の絵をたくさん残し、日本国内より欧米で高い評価を受けています。溝口の部落内にある納骨堂には、三綱が残した壁画があり、手漉き和紙を作る村人を天女が見守る作品となっています。(写真) 溝口竈門神社のすぐ横にある家が、三綱の生家です。三綱の墓は溝口竈門神社の境内にあります。
引用元 【特集】溝口竈門神社 | 筑後市観光協会



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神門外側左手から



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門の天井の彫刻



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この像の袴が炭治郎と同じく市松模様になっているらしいです。後で知った。



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日本帝国時代の軍人慰霊碑



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この一帯は猪口さんが多いようです。『鬼滅の刃』の嘴平伊之助(はしびら・いのすけ)に関係あるのか。

【追記】
佐賀の神埼(かんざき)に伊之助めんという商品を製造販売する伊之助製麺があるようです。

そうめん、ラーメン、うどん、ちゃんぽんなどの麺を製造。



神埼でそうめんと言えば、以前行った櫛田宮(福岡市の櫛田神社の元宮)に「神埼そうめん発祥の地」の石碑が立っていた。
スサノオのヤマタノオロチ退治の舞台はここ?『櫛田宮』佐賀県神埼市 - chayarokurokuroの雑記ブログ

佐賀神埼・櫛田宮の石碑


【以上、追記おわり】



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手水舎の横に絵馬が掛かっている。みんな上手。
絵馬の上にある市松模様の屋根は、テレビ西日本の福岡ローカル番組の中で高田課長というタレントが作ったものらしい。



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五三桐紋。神社巡っていて、なかなか桐紋を見ることはないのでドキッとする。

一説には、五七桐は男神、五三桐は女神を表すのだとか。祭神が玉依姫で五三桐。



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鬼の面の写真。「きせる祭り」という祭りの時にかぶるお面らしい。佐賀の龍造寺隆信に攻め込まれた時に竹を切ってキセル換わりに煙草を吸ったのが祭りの由来と。



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参拝者が多くなったせいなのか、柱に即席の手作り由緒書を掲示



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本殿裏



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手の込んだ彫刻が施されている



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社殿向かって右手



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神門はいって右側に飾られた絵馬。みな上手い。行った際も参拝者や子供たちが絵を描いていた。
この横に仮設の社務所があり、販売されている。元は無人の神社だったそうだが『鬼滅の刃』効果で。



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仮設社務所、絵馬、社門



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社殿から撮った神門



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創建が1014年。勧請の理由は何だろうか。
平安時代末期、藤原道長時代。唐の滅亡が907年。最後の遣唐使の頃の太宰帥が菅原道真。緩やかに武家社会と鎌倉時代に移行していく頃でしょうか。

このあと1226年、この近くに水田(みずた)天満宮が作られます。筑後の荘園管理の機能。大和朝廷は班田収授法をやめ、口分田が私有化し、荘園が広がって行った。そうして朝廷は地方支配を放棄したため武家が台頭してくると。

日本史の教科書を読み直すかな。



アクセス、その他

神社や周辺の情報はこちらを参考に。