福岡県久留米市御井町朝妻の味水御井神社(うましみず・みい)と、朝妻七社に行ってきました。
味水御井神社(うましみず・みい・じんじゃ)
場所
「筑後国府跡」もついでにピンを差した。国府は時期によって移動していたのか分からないが、地図をクローズアップすると南筑高校の横にも「筑後国府跡(Ⅳ期)」というのが載っている。
住所の「御井(みい)」という地名は『日本書紀』に出て来ます。いわゆる「磐井の乱」と俗に呼ばれる、継体天皇(または物部麁鹿火) VS 筑紫君磐井 がバトルした場所です(作り話だと思うが)。
「朝妻」はかつては「浅水間」と書いて「あさづま」と呼んでいたとか。
味水御井神社には鳥居も社殿もありません。
奥に見えている鳥居は七つの神社をまとめて石祠で祀っている「朝妻七社」という神社のものだそうです。
福岡県道322号線沿い。
この県道は西鉄久留米・岩田屋のある交差点から出発し、石橋文化センター前を通り、小石原川沿いを大刀洗、甘木を北上。嘉麻(かま)、田川の香春(かわら)を通って小倉まで続いている。
関係ないけどついでに、安本美典氏の説によれば天の安河は小石原川(こいしわら)を指しているらしい。
水はかなり透き通っている。
右奥に見える階段を登ると直ぐ、JR久大本線の久留米大学前駅。
右の池が御神体。真ん中の鳥居は朝妻七社。
わき水が涌いているので透き通っている。元気よくメダカが泳いでいた。
案内板があります。
味水御井神社(うましみず・みい・じんじゃ)と朝妻(あさづま)の清水(しみず)
味水御井神社は天慶(てんぎょう)7年(944)の筑後国神名帳(ちくごこく・じんみょうちょう)にも登場する由緒ある古社です。「うましみず」の名が示すとおり、境内には現在でも清冽(せいれつ)な水が滾々(こんこん)と湧きだし、古来より崇敬を集めると共に、「朝妻の清水」として多くの人々の生活に潤いと恵みを与えてきました。
また、近年は筑後一宮(ちくご・いちのみや)である高良大社で行われる川渡祭(へこかき祭り)の際の禊の泉としても知られます。
味水御井神社の歴史的意義は深く、7世紀後半から12世紀後半にかけて高良山北麓一帯に営まれた筑後国府(ちくご・こくふ)(筑後国を治める中心的な役所)の発掘調査においても、国府(こくふ)の長官(ちょうかん)の居館(きょかん)である国司館(こくしかん)から当社に向けて延びる道路の跡や、当時の官人たちが朝妻の清水から導水し「曲水の宴(きょくすい・の・えん)」を楽しんだと見られる玉石敷きの人工的な小川などが確認されています。
県指定天然記念物のクロガネモチをはじめとした巨木に囲まれ、澄明(ちょうめい)な水を湛(たた)える湧水。味水御井神社の神(しゃ)
次に続く↓
叢(そう)は、神さびて神秘的な気配がただようとともに、市民に愛される憩(いこ)いの場でもあります。
味水御井神社のクロガネモチ
指定種別 : 天然記念物(平成20年3月31日 県指定)
クロガネモチは、モチノキ科モチノキ属の常緑高木で雌雄(しゆう)異株、日本では本州中南部静岡以西と四国・九州・沖縄に分布します。
本樹は雄株で樹高19.71m、胸高周囲4.06mを測り、県内では最大級のクロガネモチです。
また、全国の都道府県指定を受けた同種は現在11件ですがその中でも上位の規模を有します。
味水御井神社のクロガネモチは枝張りもよく、樹形の美しさに優れ、樹勢(じゅせい)も旺盛(おうせい)であるとともに、神社境内に生育することから、地域とのつながりも深い巨木です。
平成21年3月31日 久留米市
↑の案内板に写っているクロガネモチの巨木が無かった。一番上に貼った写真に写っていなければならないはずだが。台風で倒れたらしい。
案内板の後ろの池
小さい池だが鯉がいる。広い所に移してやったら。
ここから朝妻七社(朝妻権現)
朝妻七社というのが昔あって、
道君首名(みちのきみ・の・おびとな)は奈良時代入って筑後国の長官してた人。道君で「君」姓。倭国時代の姓を引きずってる。道主貴とか宗像族や水間君の末裔とかだろうか。大宝律令の制定にも関わっているとか。干潟や沼地の整備をしたそうな。
「文化」とある。1804~1818年の年号。
味水御井神社の池の横の階段を登ると
振り返って
味水御井の「味(うま)」は神功皇后が応神天皇を産んで、高良大社に参拝に来た際にこの湧水を飲んで「うまい!」と言ったからだとか。嘘臭いww なんでも由来は景行か神功で済まそうという魂胆には乗せられんぞ!(笑)