福岡県久留米市の高良山にある「馬蹄石(ばていせき)」と「神籠石(こうごいし)」を見てきました。
場所
「馬蹄石」は、高良大社二の鳥居から上る階段を徒歩で100m。
「神籠石」は、「馬蹄石」の近くにある「背くらべ石」の裏と、大学稲荷神社前の道路沿いのもの。
馬蹄石、背くらべ石の裏の神籠石、式内伊勢天照御祖神社
高良大社「二の鳥居」から徒歩でしか行けません。駐車場は高樹神社の横か、二の鳥居の前に数台の駐車スペースがあります。
この鳥居から徒歩で階段を上がって行きます。
岩肌がむき出している。
しばらく行くと右側に神籠石の説明板が立っています。
史跡 高良山神籠石
筑後国一の宮高良大社が鎮座する高良山の山腹を広くとりめぐらした列石で、わが国古代遺跡として、最も規模雄大なものである。古くは「八葉の石疊」と呼び、高良大社の縁起の中で、結界の表示として語られているが、古代の山城の一種とするのが通説である。明治以降学界で問題となった同様(?)の遺構は、最初に紹介された高良山の例にならい、神籠石と総称されるようになった。
列石は一メートル内外の長方形の切石を一列に並べたもので、高良大社社殿○○の尾根(海抜二五一メートル)を最高所とし、南側の尾根にそって下り、西裾の二つの谷を渡り、一三00余個、延々一六00メートルに及ぶ。ここ南谷には、水門の基底部の石組みが遺っている。
これに対して、北側の列石は確認されていないが(?)、天武天皇七年(六七○?)の「筑紫大地震」によって崩壊したのではないかとの説がある。(?)
築造の目的(以下、解読不明)諸説があり、(以下解読不明)て、この列(解読不明)
昭和二十(解読不明)定された。
消えていて読めない
この説明板の左に、さっそく神籠石が見える。
デカい長方形の石が神籠石。1メートル前後ある。独り暮らし用の洗濯機や冷蔵庫ぐらいのサイズ。
この石、上から見ると
四角い穴が開けられている。こんなの初めて見た。門の柱を立てる穴か?
上の写真の右側から下り坂が延びている。所々、埋まった列石が見える
背くらべ石
背くらべ石
神功皇后が朝鮮半島への出兵を前に、この石と背丈を比べて吉凶を占われたとの伝説がある。古代の石占の習俗を伝えるものであろう。菱屋平七の『筑紫紀行』(享和二年、一八0二)には「勢比石」と見える。
この背くらべ石の裏へ無理やり登ります。先ほどの四角い穴があいた神籠石から両方向へ神籠石の列石が並んでいるはずである。いくぞ、探検隊!
あるね。この石は模様がついている。溶岩が固まったやつ?
列石が埋まっている。
小さいのが無造作に落ちている。ピシャッと平面に切ってあるのが分かる。
無造作にバカデカい神籠石も散らかっている。
ずいぶん急斜面で落ち葉が積もり、滑りやすくなっている。ここはこの辺で切り上げ、背くらべ石まで戻る。
馬蹄石
背くらべ石から少し登ると馬蹄石があります。
「御馬蹄形」と彫ってある。
岩肌に凹みがある。これが馬の蹄(ひづめ)の足跡のようだから馬蹄石(ばていせき)と呼ばれる。
「願主 邑波屋吉右衛門」
上側から。
馬蹄石(ばていせき)
この大石の上に、高良の神が神馬の蹄(ひづめ)あとを残されたという伝えから、「馬の足形」とも呼ぶ。然し、中世の縁起書『高良記』には、この石こそが『神籠石』であり、「八葉(はちよう)の石疊(現在の神籠石列石)」の起点、終点であると記されている。付近の字名も「神籠石」という。恐らく古代の磐座(いわくら)の一種であろう。
振り返って
さらに上へ登ると
「愛のさざんか・夫婦榊」演歌のタイトルか。
不老長寿のマキの木
式内伊勢天照御祖神社
さらに上へ登りますと左手に神社が。
式内伊勢天照御祖神社(しきない・いせ・あまてらす・みおや・じんじゃ)
御祭神 天照大神(あまてらすおおみかみ) 「延喜式神名帳」所載、筑後国大小四座のうちの一社で、いわゆる「式内」の古社である。天慶七年(九四四)の「筑後国内神名帳」には、「正五位下伊勢天照名神」とも見える。伝えるところによれば、桓武天皇の延歴三年(七八四)九月、国司藤原易興の受奏によって、伊勢国山田原(宇治山田、現伊勢市)より遷座、神貢五十七束が奉られたという。即ち筑後における最も由緒正しい皇大神宮(内宮)の分祀である。
建仁元年(一二0一)の文書には、単に「伊勢社」とあり、室町時代末の『高良社画縁起』では、山麓大鳥居の北(現御井小学校正門付近)に「伊勢」の小祠が描かれているが、明和四年(一七六七)の府中大火を機として、現在地に遷座された。同年以降、毎年七月二十三・四の両日には「灯篭賑」が行われ、参詣者が群集したという。左右の境内社(八幡宮・天満宮)も、古くから山内に祀られていたものを、ここに遷したのである。
御祭日 十月十三日 (摂末社例祭)
高良大社
このまま登ると高良大社に着く。
投稿が長くなったので一旦ここまで。
駐車場に戻り、そこからは文明の力で道路を上ります。登る途中に「大学稲荷神社」というのがありますが、その付近で神籠石が見られる。
続き 後編 はそこから。