福岡県八女市本町の土橋八幡宮へ行きました。「土橋」はドバシと読むようです。
前回投稿の 「福島八幡宮」福岡県八女市本町 - chayarokurokuroの雑記ブログ で伺った福島八幡宮が土橋八幡宮からの勧請ということだったので移動しました。距離550m。
場所
御祭神
由緒
土橋八幡宮は 784(延暦 3)年、大分県の宇佐神宮からご神霊を勧請し、福島村(現在の土橋)と稲冨村の氏神として、両村の境に建立された。1601(慶長 6)年、田中吉政が福島城を築く際に、現在地に移築されたと伝えられている。
福岡県神社誌によれば、
とのこと。
筑後国一の宮・高良大社の『高良玉垂宮神秘書』という本には、「天平勝宝元年(749年)に九州総社の地位を宇佐八幡宮に譲った」とあるようですので、ちょうどその頃に八幡をはるばる宇佐から勧請ということになったのでしょうか。
土橋八幡宮神幸行事
以前市内には御幸・風流・流鏑馬などの行事を持つ神社が多数ありましたが、現在では御幸が行なわれるのは、土橋八幡宮のみになってしまいました。
江戸時代前から続くこの行事は、毎年10月17日に本町の土橋八幡宮で神事があり、その後御神霊が神輿に乗って稲富のお旅所まで御幸します。稲富の当番組がおこもりし、八幡様はここに2泊して稲富氏子のお願いをお聞きになります。そして19日、土橋の八幡宮に還幸するというものです。
御神霊が乗った神興、獅子舞、お供人の御神幸が人々の無病息災を願ってねり歩きます。
土橋八幡宮神幸行事(令和3年度開催中止)/八女市ホームページ
福島八幡宮から移動していたら、道路左手に門が見えた。
立派。
だんだん近寄る
そして門をくぐると、そこは…
なんじゃここは! 不意討ち、昭和のアーケード街。
戦後に闇市をまとめて、ここへ押し込んだらしい。かつては人がひしめいていたそうですが、やがて寂れ、飲み屋街となっていったそうな。
土橋八幡宮幸神行事について書かれてある。
本殿裏から。
八幡宮は『古事記』『日本書紀』には出てこない。初めて登場するのは797年にできた『続日本紀』で、737年のことという。宇佐神宮は725年の創建。
宇佐や箱崎宮の元宮は福岡県飯塚の大分八幡宮(だいぶ・はちまんぐう)だと言われている。福岡県だが大分(だいぶ)。この大分八幡宮の地で神功皇后は三韓征伐の軍を解散したのだと。
『宇佐宮御託宣集』の延喜21年(802)6月1日の件『我宇佐宮より穂浪の大分宮は本宮也』
宇佐や行橋を邪馬台国と考えている方がいるが、『隋書』の「東高西低」に合わない。不彌国(宇美?)からの方向も違う。南とちゃんと書いてある。
帯方郡から邪馬台国まで12000里、不彌国から1300里しか残っていないので、せいぜいそこから半径100キロ圏内。