前編、
中編 の続き
本殿
振り返って
右向いて
鐘が架かっている
生目八幡宮。祭神は活目入彦五十狭茅(イクメイリヒコ)?
本殿方向に向いて
佐野神社
佐野神社で幸の神。イワレヒコ?
奈良の三輪山の大神神社の東に狭井神社がありますけど、狭井=幸? 蘇我石川同祖物部氏の狭井氏(狭井あじまさ)が白村江の登場人物にいる。
神武イワレヒコは狭井川で大物主の娘のヒメタタラ(ホトタタラ)イスケヨリヒメを娶る。
本殿裏へ
火祭り「鬼夜」の大松明が本殿周りを回るので、スペースを広くとってある。
本殿左手。松明用の竹
本殿北側へ
玉垂宮の裏(北)は、大善寺校区コミュニティセンター、玉垂公園。入り口にある魔除けの瓦「鬼面」
筑紫の政事をやっていたと伝わる神社の裏にお役所の箱モノ。この下に遺跡があるな?
宮本洋学校について
大善寺玉垂宮と玉垂公園入り口(西側)を走る道路、福岡県道23号(久留米柳川線)
北方向
南方向
写真は以上です。多すぎました(^_^;)
筑後国一の宮・高良大社は正一位の神社にも関わらず史料に登場しません。主祭神の「高良玉垂命」は正体不明。それについては古くから議論があり様々な説があります。地元では高良玉垂命は女性だと伝わるといいます。
ここ大善寺にいた玉垂命は、高良山に一晩宿を借り、鎮座していた高木神を下ろして神籠石の結界を張り、代わりに鎮座したという(高樹神社の由緒等)。
大善寺玉垂宮では 高良大明神=藤大臣としている。しかし「藤大臣(とうのおとど)」も正体不明。
『松野連系図』という史料があります。邪馬台国の人物や熊襲梟帥(川上梟帥)の一族、倭の五王らの載った怪しい系図なのですが、そこに倭の五王の最初の「讃」の先代に「籐」と名前があり、これが「藤大臣」なのではないか、という説がある。
籐はヤシ科トウ属のツル植物で主に熱帯アジアに分布で日本には自生していない。
藤はマメ科フジ属のツル植物。中国語ではトウを藤と書き、フジは紫藤と書く。中国語の「籐」は第一義に竹の器を指すとWikipediaにある。トウ - Wikipedia
籐は鹿児島県のトカラ列島宝島より南にはあるようだ。宝島の「宝」…「高良」をタカラと読めば…
南方自生の植物名を冠した「籐」の次代から倭の五王が南朝に朝貢を始める…ということは…
籐や藤に似たツル植物では他に葛がある。マメ科クズ属。古くから食用や葛根湯など薬用に使ったり繊維素材として利用。牛や馬の飼料にも使われたとか。葛はカツとも読む。
記紀にある三沼君のエピソードで、飼ってた犬が呉のガチョウを噛み殺す話がある。これは南朝の冊封から抜けたと解釈できるのではないか。
「籐」の始めからガチョウの終わりまで倭の五王は三潴が舞台、とか。
三沼君について、『新撰姓氏録』には載っていないが、似た名前で諸蕃で「三間名公」が2件あり。
- 弥麻奈国主牟留知王之後也。意富加羅国王子、 都努我阿羅斯等(ツヌガアラシト)
- 御間城入彦五十瓊殖天皇時代。「御間」がそもそも「三間」っぽい。
- 御間城入彦五十瓊殖天皇時代。「御間」がそもそも「三間」っぽい。
- 仲臣雷大臣命之後也。
- 中臣烏賊津は4世紀半ばでちょうど合う。雷大臣=藤大臣?
武内宿禰(360)は目立ちません。全くの架空の人物ではないんだろうけど。