chayarokurokuroの雑記ブログ

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「欠塚古墳」福岡県筑後市前津

福岡県筑後市前津(まえづ)の欠塚古墳(かげつか・こふん)を見てきました。

場所

3ヶ所にピン📌を差しました。

  • 赤 / 欠塚古墳(かげつか) ここの古墳
  • 黄緑 / 石人山古墳(せきじんさん) 筑紫君磐井のお爺さんの墓?
  • 青 / 弘化谷古墳(こうかだに) 有名な装飾古墳
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前回 投稿の、古墳時代に筑紫の政事を行っていたと伝わる 大善寺玉垂宮 のすぐ横を流れる「広川」の少し上流域に位置します。「広川」と、その南に流れる「山ノ井川 (やまのい・がわ)」に挟まれた地区。「山ノ井」が「邪馬台 (邪馬壹(壱)」っぽいので、関係づけて語る説もある。

広川流域に八女古墳群があるのですが、欠塚古墳 はそれらより南に少し外れているため、筑紫君磐井一族の分家の古墳ではないかと考えられているようです。



周りはのどかな茶畑が拡がります

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高級茶葉で全国的に有名な八女茶🍵 甘くて幸せな気分になりますよ♪



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駐車場は周りにないようです。



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八女古墳群

欠塚古墳
(筑後市指定史跡)
平成四年十二月十四日指定

この欠塚古墳は八女古墳群に属する全長四十五メートル前方後円墳で、五世紀末(古墳時代後期・約千五百年前) に作られたものです。内部主体は 竪穴系横口式石室 で、北西方向に開口しています。

八女古墳群には、石人山古墳 から時代がくだるにつれて東へ展開する大型の前方後円墳があります。それとは別に点在する中~小型の前方後円墳の群があり、当古墳はこのうちのひとつと考えられます。

岩戸山古墳 のような筑紫君磐井一族の首長家の墓ではなく、分家方の墓 というわけです。

平成元年度に行われた発掘調査では、前方部と後円部の間のくびれ部に 「造り出し」 が確認されました。

石室からは 装身具よろいの一部が、周濠内からは 円筒型・朝顔型・家型の埴輪 や土器などが出土しました。

平成七年三月
筑後市教育委員会



現在地は下の画像の交差点付近

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円筒型・朝顔型・蓋(きぬがさ)型埴輪などが周濠内から出土。



欠塚古墳の発掘調査について

昭和30年ごろに一度、そして平成元年に再び調査されている。
平成入ってからの調査時に、古墳全体を覆う墳丘や、石室を形作る石のほとんどが取り去られ、無残な状態だったという。

昭和の調査時では、

  • 崩れてはいたものの石室はまだ残されていた
  • 石室の「壁面や床面は朱で彩られていた」(調査報告書)
  • 石室内からは、ガラス玉 や 円筒埴輪(えんとうはにわ)、須恵器(すえき)などが多数出土
    • 須恵器:有蓋高坏、蓋、𤭯、壷、甕、横瓶、器台
    • 土師器:蔵骨器、土鍋、壺 磁器:染付皿
    • 手づくね土器:高坏、椀
    • 金属製品:小札
    • 装飾品:ガラス丸玉
    • 石器:石鏃
    • 土製品:土錘
    • 埴輪:朝顔形円筒埴輪、形象埴輪(家形埴輪、蓋(きぬがさ)形埴輪)、普通円筒埴輪



平成の調査では、

  • 後円部に比べ前方部が短いという特徴をもった前方後円墳
  • 小型ながら上に伸びた古墳だった
    • 家の屋根よりも高かったという地元の人の話から
  • 右側前方部に「造り出し」と呼ばれる張り出し部分が見つかった



「高さ」がポイントのようだ。新羅の影響があるとかかな?



周りの風景

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説明板の前の交差点(東向き、八女方面)



f:id:chayarokurokuro:20220312232058j:plain 右側(南向き)



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左側(北向き)



古墳沿いの通路を進む

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石室の天井石か?

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以上です。
平成元年の調査時に古墳は既に無惨に壊れていた。調査後に古墳公園としてキレイに整備し直してある。駐車場・トイレなどは無し。五世紀末にもなって貴重な朱の全面塗りの石室。筑紫君の分家筋と言えども豪華。



古墳横の道路を北に1キロほど行くと、同じく5世紀後半と考えられる 石人山古墳(せきじんさん・こふん) や、6世紀後半の有名な装飾古墳 弘化谷古墳(こうかだに・こふん) がある。

石人山古墳 は、以前は筑紫君磐井の墓だと考えられていた古墳(現在は岩戸山古墳)です。磐井の墓については筑後国風土記逸文に場所が書いてあるが見誤ったようだ。磐井のお爺さんぐらいの時代らしい。400年代末。倭王武の墓かも知れませんよ!

石人山古墳からは直弧文が彫られた物凄い家型横口式石棺が出土。あれだけ手の込んだ石棺は日本中探しても珍しいのでは。
似た物では 熊本県宇城市不知火町 の 鴨籠古墳の石棺。火葦北君の関係なのかな?
自分が文化庁の役人なら国宝にするけどなぁ。