前回投稿の欠塚古墳(かげつか)から移動しました。Googleマップを見て発見した。
欠塚古墳は5世紀後半~6世紀前半に築造された古墳で、筑紫君磐井(6世紀前半)一族の分家筋のものだと考えられているようです。全面朱塗りの竪穴式横口式石室を持つ立派な古墳のようですが、そこに最も近い神社。なにかあるに違いない!
場所
4ヵ所にピン📌を差しました。
- 赤 / 欠塚公民館(欠塚熊野神社の換わり)
- 黄緑 / 欠塚古墳 。5世紀後半
- 青 / 石人山古墳(せきじんさん) 5世紀後半。直弧文の彫られた凄い石棺
- 橙 / 弘化谷古墳(こうかだに) 6世紀後半 有名な装飾古墳
欠塚古墳から広川方面(北)に400メートルほど行くと、右側に「欠塚公民館」。その横を(東向きに)入っていくと、
森がある。ここが神社だな?
階段を下りる
左側を向く
右手
茶畑🍵
段になっている。古墳?
「熊野宮」
「天保六年」?
天保(てんぽう)は幕末、1830~1844年の年号
右手
左手
本殿
大友家、鍋島家の家紋、杏葉紋
おや、立派な天井絵
後ろを振り返って
本殿左側
茶畑🍵
降りてみる
一段高い。やっぱ古墳なんじゃ?
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二段になっている。やっぱ古墳じゃ? (段差と森が何でも古墳に見える病)
以上です。
筑後市や八女市には熊野神社が多く点在する。熊野神社は東北に多いそうですが、いわゆる熊襲の神社なんじゃないかと。紀州や出雲の熊野は九州からの移住ではなかろうか。
久留米(旧・三潴郡)の大善寺玉垂宮の大祝(おおはふり)は隈氏らしいが。
「西の国に我々より強い者はいない」と宣う熊襲梟帥(くまそたける、川上梟帥)の一族は、名前の後ろに「鹿文(かや)」がつく。取石鹿文・厚鹿文・市乾鹿文・市鹿文・サ鹿文。糸島の可也山も朝鮮南部の伽耶も関連。
ウガヤ(彦渚)の「カヤ」も「鹿文」だろう。ウガヤフキアエズは九州南部出身の神武天皇の父親。
紀州の「名草」は「彦渚」の「なぎさ」だ。熊野大神やスサノオや神武天皇らの名前は似ている。熊野速玉男、家津美御子、櫛御気野、若御毛沼…。みんな同族よ。知らんけど。