chayarokurokuroの雑記ブログ

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「女山神籠石横尾谷水門」と「日子神社」福岡県みやま市瀬高(後編)

前編 日子神社の続き。



福岡県みやま市瀬高(旧・山門郡瀬高)の 女山神籠石(ぞやま・こうご・いし) の 横尾谷水門(粥餅谷水門) を見てきました。
女山神籠石で4箇所見つかっている水門の内の一つです。日子神社 を目印に行くと分かりやすい。
ただし、駐車場がありません。



場所



☝️ 場所名 : みやま市瀬高町日子神社
緯度, 経度 : 33.167797 130.516605


☝️ 場所名 : 女山神籠石
緯度, 経度 : 33.160249 130.513152

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みやま市, 福岡県 https://maps.app.goo.gl/7GY1SHdaBdmEiMM66


日子神社 のすぐそばです。



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この鳥居を真っ直ぐ進むと横尾谷(粥餅谷)水門。階段を登れば日子神社。
真っ直ぐ進みます。徒歩ですぐ着きます。



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お、早くも神籠石の水門が。



振り返って

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右側は斜面

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水門の上から



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説明板がある

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横尾谷水門

神籠石の列石中に源吾谷・長谷・産女谷・横尾谷の四つの谷があり、その谷にはそれぞれ水門が設けられている。

此処の水門は横尾谷又は粥餅谷(かゆもち)水門と呼ばれているもので四つの水門中最大のもので、よく築造当時の趣を止めているといわれている。

大部分を当地産の筑後古成岩と一部に神籠石と同じ水成岩の切石を使用し、母岩の上に四段に積み上げ下部に水口を設けられている。

かつてはこれらの水門は神籠石列石の排水の為に築かれたのではないかと思われる。
神籠石は何時の時代に何んの目的の為に造られたかはいまだ不明な点が多いが今日では山城説が定説となっている。

みやま市商工観光課


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意外と神籠石が丸みを帯びていない。硬い素材の石?



上流に何かあるか見回る。



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右側の斜面に何か石が積み上げてあるのが見えた。

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よじ登って近くで見たが、小さい石を積み上げてあった。後世のものか?



さらに進む。

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建物が見える。軽トラが止まっていて個人の敷地っぽいので立ち入らず。



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横尾谷(粥餅谷)水門は以上です。

他の水門は入口が分からず見ていない。個人宅の敷地の中にあるようで。女山の土砂崩れの工事が終わった頃にまた伺おう。

この近くを「矢部川」が流れています。上って行くと『鬼滅の刃』で有名になった「溝口竈門神社」がある。
さらにずっと30キロほど上ると黒木や矢部村、日向神。『日本書紀』で景行天皇が「あそこには神がいるだろう?」と三沼君の先祖に問うて明るみになった「八女津媛」のいたとされる「八女津媛神社」がある。八女津媛は隠って出てこない。岩戸隠れしてるからw

更に山奥に進めば「鯛生金山(たいお・きんざん)」。邪馬台国は丹砂が採れる。金とマンガンと水銀朱は同じような所から採れるそうですので、可能性としては女山より矢部村の方があり得るかなと。八女津媛も田油津媛も葛築女(くずちめ)も矢部川水系で一族なんだろうけど。卑弥呼も…



ふと思い出した。そういえば、玉砕した戦艦大和の艦長は山門郡(現・みやま市)出身で第二艦隊司令長官の伊藤整一中将。