chayarokurokuroの雑記ブログ

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「田油津姫の蜘蛛塚と老松宮」福岡県みやま市瀬高町

福岡県みやま市(旧・山門郡)瀬高町大草の蜘蛛塚(大塚)を見てきた。塚は老松宮(おいまつ)の中にあります。



場所



☝️ 場所名 : みやま市瀬高町蜘蛛塚(女王塚/大塚)
緯度, 経度 : 33.16218 130.505075


☝️ 場所名 : みやま市女山神籠石
緯度, 経度 : 33.160249 130.513152

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かつては「女王山」と呼ばれたという、古代山城(?)女山神籠石(ぞやま・こうごいし)のある女山の近くです。



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真っ正面に立つ電柱の奥、山肌の木々が削げて地肌が見えている所に、女山神籠石・森林公園の入口がある。2021年夏の大雨で土砂崩れがあったようで、現在工事中。



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老松宮の正面



周りは田んぼ

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神社に入らず左側に小さな祠と蜘蛛塚の説明板がある。

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みやま市指定史跡

みやま市瀬高町大草
昭和56年2月23日指定

蜘蛛塚(大塚)

この塚は、瀬高町大草にある大塚集落の南東、老松(おいまつ)神社の入口に位置し、ここ大塚という地名の起こりでもあります。今は石室の中心部のみ残り塚上に地蔵尊を祀ってあります。昔は雨が降るとこの古墳から血が流れでると言われていましたが、これは石棺内の朱が流れてていたと思われます

伝説によると景行天皇の西征の時に、この地に朝廷に従わない者がいましたので、天皇はこれを征伐して首長を葬った所だとされています。
また、一説に土蜘蛛の首長田油津姫(たぶらつひめ)の墓であるとも云います。この墳(つか)の南18mの田の中に小墳があってこれも大塚といい、一緒の前方後円墳であったのが道路作りの時に、二分されたものと伝わります。 大正二年春、田の中の小墳を崩して新道が作られました。往時は女王塚と言っていましたが、後世にはばかって大塚(蜘蛛塚)に改めたと云います。

平成29年3月
みやま市教育委員会



かつては「女王塚」と呼ばれる前方後円墳だったらしいが、道路建設で壊された挙げ句、大正2年に慮って蜘蛛塚と改めたたと。
景行天皇もしくは神功皇后に征伐された土蜘蛛の墓の割には前方後円墳で、雨が降ると血が流れ出るように見えるほど石棺内に朱が満たされているなど、とても逆賊の墓とは思えませんね。
神功皇后も田油津姫征伐の話も架空だろう。



「土蜘蛛」とは何だろうか、いろいろ説があると思います。蜘蛛は口から糸を出す。アマテラスは繭を口に含んで糸を紡ぐ。このような文化を持つ人たちを土蜘蛛と呼んでいるんではないか。そういう人たちの事と彼らが住んでいた場所を記紀に書く時に、時代を合わせてナンチャラ天皇が征伐した事にした。そのような場所は奈良時代に朝廷の荘園などになっている筈だ。朝廷内部者の出身地であるかも知れん。



塚の被葬者は、一説には『日本書紀』で神功皇后に討たれる田油津姫(たぶらつひめ)だとされている。その田油津姫は、景行天皇時代に登場する神夏磯姫(かんなつそ・ひめ)の末裔という。神夏磯姫は三種の神器を持つ王のひとりで、白旗を上げて景行天皇に恭順したことになっている(景行は架空説がある)。



田油津姫には夏羽と言う兄が福岡県田川市夏吉にいた。神功皇后に焼き殺された為、その地名が夏焼となり、転じて現在の現在の夏吉になったとされる。

景行天皇が派遣したのはカムヤイミミの末裔で武諸木という多氏の祖と、国前臣の祖の兎名手と、物部氏の祖の夏花
「夏花」と「夏羽」は名前がほとんど同じではないか。



田油津姫の兄の夏羽は香春神社(かわら・じんじゃ)のある田川市にいた。香春神社は古代史の鍵を握る最重要神社の一つだ。というのは、赤染氏鶴賀氏宮司を務めておられるからだ。赤染氏は公孫氏の末裔という。鶴賀氏は恐らくだがツヌガアラシトの末裔だろう。

香春神社に正一位の神階が与えられた時期は、お隣の大分県にある八幡宮総本社・宇佐神宮や、奈良の大神神社石上神宮大和神社などより遥かに早い。大和朝廷は香春神社を重要視していたことがわかる。銅山が有るからかも知れんけど。



卑弥呼は西暦180年代(184年?)に、倭国大乱の中で共立された。後漢が黄巾党の乱や十常侍の乱などでボロボロになっている頃。卑弥呼倭国は勢いのあった遼東公孫氏に付く。冊封・同盟を結んだ時点で倭国(または邪馬台国)の王族と公孫氏は婚姻関係を結んだかも知れない。



妹の田油津姫が江戸期より邪馬台国説のあるみやま市 (旧・山門郡)にいて、その兄が公孫氏の末裔が宮司の香春神社のある田川市にいるというのは、何とも興味深いことです。香春と高良は元は同じともいわれる。



脱線した。写真の続きを。



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老松宮に入る

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立派な門だが、壊れかかっている。老松宮と蜘蛛塚は、近所の3家族の方々で管理されているらしい。声を掛けてきた近くに住むお年寄りのおばあちゃんが教えてくれた。
「こないだは遥々福井県から女性の方が来られた」とおっしゃっていた。



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だいぶん不気味な狛犬



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木瓜紋がついている。



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門をくぐって左側に蜘蛛塚。かつては朱の流れ出る前方後円墳と。



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これだけ低いと石棺も石室ももはや無いのではないか。弥生時代のものとなら何かあるかも知れないけど。発掘調査されているのかな? 「女王塚」と呼ばれる古墳を調査もなしに壊して道路建設など罰当たりなことは流石に避けるか…



社殿。新しい。

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社殿向かって右側に女山(ぞやま)



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社殿裏手は住宅地

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老松神社は菅原道真の父親を祀るそうだが、意外とあちこちにある。左遷されて2年ほどで亡くなる道真やその父親を祀る神社がたくさんあるというのはおかしい。元々は何か別の祭神だったのではないか。

菅原道真の母親は島田氏。島田臣ですかね。島田氏と菅原道真と言えば、以前に伺った佐賀県武雄市橘町の潮見神社の由緒に出ていたのを思い出す。潮見神社の一帯にカッパの伝説があるのですが、「お前たちは菅原道真の子孫だということを忘れるな」とかカッパに言うんですよ。意味がわからないけど。



菅原氏は土師宿禰の末裔というが、須賀(蘇我)氏でもあるんじゃないか。そして蘇我氏は石川氏に改名した物部、巷宜(そが)物部。新参の渡来系のような印象を受けるが、その地名は阿曇と肩を並べるほど全国的にある。福岡市西区か早良区の辺りにも所縁がありそうで、そうなるとかなり古い氏族かなと。素盞嗚尊とも関係がありそうですし、神紋は木瓜紋や三つ巴紋で高良大社と同じ。



また脱線した。田油津姫は卑弥呼でしょうか?