福岡県大牟田市歴木の「高田行宮(たかたのかりみや)跡」を見てきました。
「高田行宮」は、『日本書紀』景行紀に天皇の九州遠征で出てくる場所(建物)の名前です。「行宮(かりみや)」は遠征先での仮の住まい。
その部分の記述に、中国の歴史書『魏志・倭人伝』(東夷伝倭人条)に登場する狗奴国のヒントが隠されている。
昔ここには、970丈(1丈は約3メートル)もの高さの歴木(くぬぎ)が立ち、朝日で影が杵島(佐賀県武雄)に、夕日の影が阿蘇山を覆い隠していた。
「970」丈の「くぬぎ」が「狗奴国」の「クナ」を暗示しています。影は狗奴国のテリトリー。現在も佐賀・熊本は肥前・肥後で肥の国。
邪馬台国はそのすぐ北にある。わかるかなぁ~わかんねぇ~だろ~なぁ~
「高田公園(たかた)」にはこの石碑があるだけです。
写真を撮り損ねたが、裏には「貴族院議員従四位子爵立花種忠敬書」とある。幕末の三池藩主。
地名は大牟田市歴木192で高田郷という。たかた。
どうせなら番地を970にすれば洒落が効いてて良かったのに( *´艸`)
Googleマップなどには「高田行宮跡 伝承地」と出ていますが、江戸時代に立花三池藩の藩主がこの地を「高田行宮だ!」と半ば強引に決めた為のようで、「伝承」はその時以来ということになります。他にも候補地があったみたい。
天皇陵や皇居の「伝承地」と同じで、幕末~明治頃に適当に決められた結構いい加減なもの。か
公民館。読めない
すぐ東に高い山がそびえている
南関町(なんかん)がある山か。南関は九州自動車道を使う人は知っているだろう。南関インターがある。古い時代から関所があったらしい。邪馬台国と狗奴国の関所なんじゃ?
高田公園の周りは住宅地で、道幅は車が一台通れるほどの狭さ。駐車場もない。トイレはあるが簡易式。
近くに流れる川は堂面川。
高校生がバレーをしていた。話をしたが、ここがどういう所かと訊くと、狗奴国と関係すると言う。この地域の人の常識かと伺うと、そうだと。学校の先生がそういうことを教えてくれるのかと伺うと、そうでもないのだと。
邪馬台国がどこにあったと思うかと訊くと、近畿だと(爆
纏向観光協会(景行社長)の広告効果。