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太郎良盛幸『筑紫の磐井』(小説)新泉社

筑紫の磐井|新泉社



2007~2009年に「岩戸山歴史資料館」の館長を勤めた、福岡県八女出身の元高校社会科教師による小説。



  • 発行 新泉社
  • 四六版 292ページ
  • 著者 太郎良盛幸(たろうら もりゆき)
  • 2008年11月11日 第一版第一刷発行
    2013年1月11日 第一版第二刷発行



  • 著者紹介

太郎良盛幸(たろうら もりゆき)

1945年、福岡県八女郡矢部村生まれ
1968年、熊本大学教育学部社会科卒業
1968~1999年、福岡県立浮羽東・八女・久留米農芸(久留米筑水)・黒木高校の社会科教師
1999~2006年、福岡県立福島高校定時制・黒木・三池工業工業教頭・校長
2006年、福岡県立三池工業高校退職
2007~2009年、岩戸山歴史資料館館長
2009年より日本経済大学教授
著書『八女電照菊の産地形成』『福岡県の農業』(光文館)、『角川地名大辞典 40 福岡』(角川書店)・『福岡県百科事典』(西日本新聞社)に一部執筆、『九州の南朝』(新泉社)



あとがき にあるように、著者は高校社会科教諭を30年勤めた後に縁があって岩戸山歴史資料館(福岡県八女市の岩戸山古墳の併設資料館)の館長になったそうです。筑紫君磐井については八女出身という事もあり贔屓目に見てはいたものの、それ以上の追究は特にされてこられなかったようである。専門が地理だそうで、「門外漢として歴史資料館に勤務することになった」という。そこで八女古墳群などの資料や記紀などを読んで書いた筑紫君磐井の小説が本書という事になります。歴史専門家以外を歴史資料館館長にするなど適材とは言い難いと思うけど、意外といい加減な配置をやってるのね。
著者の資料館勤務が2007年からで、本書発行が2008年なので、時期的にかなり早く即席で書かれたものか。



内容的には『日本書紀』の筋書きに山尾幸久説などをミックスさせ、筑紫君磐井の人物像としては悪役としてではなく国際情勢を見極め的確に判断し、先進的律令により民から信頼される優れた軍司・大王・人物として持ち上げている。いわゆる「ヤマト王権」とは一線を画した九州の独立政権王朝の大王とするが、「雄略天皇」謁見時に土下座する描写などがあり、九州は大和王権より格下なニュアンスでフォロー?している?

「歴史資料館の館長や歴史学者学芸員などしかアクセスできないような、あまり公表したくない資料等が実はあるのだが、それらをふんだんに散りばめた驚きの内容…」みたいなのを期待したのだが、九州王朝説や郷土史家が探っているオタク的な濃いさは全然無い。そういう物を求めて読むなら不満の残る内容。



本書の最初の方に「筑紫一族系図」として筑紫君磐井の家系図が書かれてあり、それに惹かれて購入した。磐井の母親は新羅の王の妹という設定ですもの。なかなかじゃないですか。



登場人物は筑紫君磐井、その息子の葛子新羅智証王など歴史書に出てくる実在?の人物のほか、 火君水沼君的臣大分君など一族・豪族・姓・爵位?名に地域名を付け加えた架空の人物などが適度に混ぜてある。

系図はもちろん小説上の設定としての偽家系図ですが、何か考古学的資料等をヒントに作ったのであろう。たとえば磐井のおじいちゃんの名を「嶽八女(たけやめ)」といい、その奥さんは「火君菊池」の娘「白雲媛」。この「嶽八女」の墓として石人山古墳を設定している。
(石人山古墳の資料館の学芸員さんが言うには、被葬者は磐井のひい祖父さんかその前の代だそうです。)
石人山古墳の石材は熊本から運ばれた物を使用しているらしいが、磐井のおばあちゃんを火君出身と設定。
磐井の奥さんは「大分君臼杵」の娘「柚子媛」とする。大分県臼杵には最も古い石人がある、等々。

先にも書いたが、磐井の母親は新羅智証王(ちしょうおう)の妹という設定。『日本書紀』は磐井が新羅から賄賂を貰っていたと書いていますが、賄賂どころか母親が新羅の王族というのは、まぁ可能性はあるかも知れんね(笑)。『日本書紀』に登場する火葦北君などは名前が更にモロで、その息子も百済の官僚。もっと国際的。実際は更にごちゃごちゃしているかもね。

磐井の息子「葛子」の奥さんは水沼君の娘とし、「葛子」の女兄弟は火葦北君の奥さんや三山(みやま市の豪族?)の奥さん、等々。婚姻により緩やかな「筑紫連合王国」を形成し、筑紫君磐井とその一族はその の長だったとする。
「筑紫連合王国」って弥生時代から脈々と続く「倭国」のことでしょ(爆笑)。

筑紫の国魂・筑紫社(筑紫神社)は登場するが、九州総社の高良大社や筑紫の政事を行っていたという大善寺玉垂宮、九州総守護の島原諫早の温泉(雲仙)神社=四面宮などは出てこない。アンタッチャブルなのだろうか。

「筑紫君」の本拠地は八女の「深田」としてある。八女市深田遺跡 深田遺跡/八女市ホームページ というのがあります。4世紀頃の豪族居館跡。八女市の中心部に近く、以前に詣った福島八幡宮(福島城跡)から南の矢部川に向かう途中にある。溝口竈門神社のちょっと東。



火君の本拠地は山鹿。山鹿には方保田東原遺跡(かとうだひがしばる) 方保田東原遺跡(かとうだひがしばるいせき) | 熊本県山鹿市 がある。弥生後期~古墳前期にかけた熊本県最大級の集落遺跡で、青銅器や鉄器も出土。「方保田」で「かとうだ」となぜか読む。「ホホダ」ではないのか。「ホホデミ」っぽいな。遺跡名にはそれなりの意味を込めた名前が付けてあるだろう。
中国の歴史書に出てくる「邪馬嘉国」かな? 狗奴国の本陣かも?



本書では、磐井は若い頃に大和に留学した設定になっている。これはたぶん山尾幸久(立命館大学)の説の援用か? 山尾説では磐井は若い頃に大和王権に「出仕」したというが、根拠はゼロだろう。『日本書紀』に磐井が敵方に「我が伴として同じ釜の飯を食った仲ではないか」というセリフがあるが、恐らくこれを強引に「出仕した」と解釈している。なぜ倭国(九州)の王と一部の人が考えている磐井が、地方豪族の大和王権に「出仕」せねばならんのか。本書はその山尾説の「出仕」を「留学」に書き換えたのだろう。大和だけでなく新羅にも留学していた設定。



鉄の製錬所や砂鉄の産地が複数でてくる。みやま市(旧山門郡)にあの最澄が建てた本吉山清水寺というのがある。そこの山を清水山という。その清水山の麓に製錬所があったという。
また、河口が博多湾箱崎埠頭、名島神社のある多々良川をさかのぼった糟屋にもあったと。
実際六世紀に砂鉄によるたたら製鉄がどれほど行われていたんでしょうか。

以前にブログで、任那割譲をした理由はタタラ製鉄の普及により鉄原料の国内自給が増え朝鮮依存が低下した為だと妄想したことがある。砂鉄のタタラ製鉄は江戸時代の技術でも大量の木炭を必要とする。少量の鉄でも山をいくつも禿げ山にするレベルの木材が要る。粕屋に長者原って地名がありますね。炭焼き長者かな?



この書で最高にリアリティーに欠ける部分は、『日本書紀』の「磐井の乱」の大和王権の軍勢6万人を鵜呑みにしている所。
日本書紀は嘘を嘘だと分かるように嘘っぽく書いたんじゃないだろうか。天皇の年齢が150歳を越えているとか、景行・日本武尊(両者架空説)の身長3メートルとか。「そんな奴おらんやろ 」と関西人らしくツッコミ入れられるように作り話を大袈裟またはデタラメに書いただろう。

近江毛野臣とかいう大臣でも大連でも将軍でも王でもない正体不明の人物が、6万人もの大軍勢を古墳時代に率いたと思いますかね? べらぼうな数字でしょ。

安土桃山時代の頃の日本の人口は推定1500万人。秀吉が毛利攻めで岡山の備中高松城の水攻めをした際の軍勢が2~3万人。かなりシステマチックにやっていたでしょうが、その程度です。信長の桶狭間は遥かに少ない2000~3000人。

一方、奈良時代初期の人口が推定500万人。戦国時代の3分の1。6世紀はもっと少ないだろう。 朝鮮半島での倭人が絡む戦闘はせいぜい軍勢500人とか多くても1500人とかのようですけど、6万人を関西から九州・朝鮮に引き連れるなどさすがにデタラメ過ぎる。「嘘を嘘だと分かる人でないとry」である。
船のサイズも一艘100人乗りほどの巨大船の設定。そんな船があった?