chayarokurokuroの読書ブログ

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なぜ古代史学者は「ヤマト王権」に拘るのか?

考古学の本を読んでいる。著者がヤマト王権中心の歴史観を無駄に長々と主張していらっしゃって、「ごちゃごちゃ書いてるけどデータ出せば一目瞭然じゃね?」と不愉快を紛らわせるべく酒を飲んでいる。

ヤマト王権とやらがあろうがなかろうが、白村江で負けて王は責任とらされて唐に連行され王族はチリジリバラバラになるわけです。百済高句麗もそうなってるんですから倭王もそうなっただろう?筑紫君や大伴部や氷(八代?)などが8年も捕虜になったじゃないですか。ヤマト王権とやらの関西人が何か責任とったんですかね?何でヤマト王権が白村江の前後で連続して続いたと考えられるんですかね?
ヤマト王権を仮定すると、それは消えなきゃならなくなるんじゃないですか?倭国は消え、倭国王も消え、日本国と天皇という別種が出てくるんですよ?おかしいでしょ。

「王権」というからには王の確たる証拠が必要だろう。ないなら「出雲族」「吉備族」みたいに地方豪族扱いでよい。関西族。
古墳のサイズを問題にするなら、王権は東国に移動したと考えないと矛盾する。



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