chayarokurokuroの雑記ブログ

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長崎メトロ書店の新書ランキングNo.2に『謎の九州王権』の謎

現在長崎駅周辺は、新幹線の開通に向け急ピッチで工事が行われております。新しい駅は旧長崎駅の少し西に移動し、既にJR在来線は新設された高架の上を走っています。

長崎駅アミュプラザにあるメトロ書店へ行きました。
新書ランキングのNo.2に若井敏明『謎の九州王権』祥伝社新書が謎のランクイン。古代史がランキング上位って珍しいのでは。驚いた。ちなみにまだ読んでいない。

著者の若井敏明氏は奈良県出身で大阪大学関西大学大学院で学ばれた日本史学者という。古代文献史学の著書をいくつか出されている。奈良県出身で九州王権に言及するとは、さてはマキムク観光協会のスパイか?橿原考古学の売国奴か?



ネットで幾つかの新書ランキングを見た限りでは本書はランキング10位以内に入っていない。長崎市民はだいぶん特殊な人たちなんだろうか。街の至るところに歴史的な物がありふれた場所ではあるので歴史への関心は高いのかもしれないが、弥生時代古墳時代頃の古代史と長崎市はなかなか繋がりが薄い印象がある。旧石器時代や縄文遺跡などはそこそこあるっちゃある。



とはいえ、中国古代史に頻繁に登場する壱岐対馬や松浦は長崎県ですし、弥生時代のガラス(超貴重品)の出土量も長崎がトップですし、非常にハイレベルな技術で造られた鉄剣鉄戈が大村の弥生遺跡から出土(参照:富の原遺跡 - Wikipedia)していたりもし、弥生文化を営めそうな平地も古墳も少ない長崎といえども簡単に無視しても良いのだろうかとも思う。

後漢書の次の文章、

自女王國東度海千餘里至拘奴國、雖皆倭種、而不屬女王。自女王國南四千餘里至朱儒國、人長三四尺。自朱儒東南行船一年、至裸國、黑齒國、使驛所傳極於此矣。

には、狗奴国の西の海を千里(約60キロ)渡ると女王国があると書いてある。狗奴国が熊本の菊池ならばその西の島原が女王国かな?という、まさに宮崎康平(島原鉄道常務取締役)の『まぼろしの邪馬台国』のアイデアの源のようではないか。



卑弥呼邪馬台国、狗奴国などは古事記日本書紀には一切登場しない。「女王」という文字は神功皇后の箇所で出てくるようで、8世紀に記紀を編纂した人たちは倭人伝等の中国史を読んではいるようです。しかし「卑弥呼」も「邪馬台国」も出て来ないというのは、記紀編纂者らはヤマト王権とそれらは無関係だという立場を取ったのであろう。『北史』や『隋書』の「倭国の都の邪靡堆は魏志の邪馬臺者也」とあるのは都は邪馬台国時代と変わっていないという中国側の認識であろうし、『旧唐書』にある「倭国と日本は別種」と『新唐書』の「彦渚武(ウガヤフキアエズ)まで32世は筑紫城にいて神武が大和州に移り住んで云々」というのはヤマト王権としては倭国邪馬台国とは別の国だとの立場の主張である。
記紀原理主義的に重んじる立場ならば、明治天皇玄孫の竹田某氏のように「記紀と中国史との比較をしてはならない」とせざるを得ないのではないのか。学問してはならない。



国史には関西の地名や情景の描写など出てこず、ほぼ「筑紫」や北部九州中心で書かれている。むしろ「謎」なのは九州王朝ではなくヤマト王権の方です。関西のあのデカい古墳は何なのか。あんなもの作っておきながら関西が中国史に全く出て来ないのはどういうわけなのか。古事記以前の倭国の歴史書が残っておらず、記紀編纂時に集められたという古代有力18氏族の歴史書も残っておらず、「大和」は「ヤマト」とは読めず、「大倭」は市を監督する役職名であり、「大養徳」「大和」と地名を変え、「三輪山」は元は「御諸山」であるが「御諸山」はおそらく奈良にはなく、と数々の疑念と共に九州と倭国は不自然に隠蔽された疑惑は拭いきれない。



『謎の九州王権』はどういう切り口でこれらに答えているのだろうか。読むまで楽しみにしておこう。