chayarokurokuroの雑記ブログ

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宇美八幡宮関連 魏志倭人伝の「戸」と「家」

最近、福岡県糟屋郡宇美町宇美八幡宮へ行って来ました。



福岡空港は滑走路が南北に向いていますが、北は博多湾、南は大野城市太宰府市です。西は福岡市内の平地で、東は山が大野城太宰府まで仕切り板のように連なってあります。

で、その山を越えた東に糟屋郡宇美町やら須惠町やら志免町やら平地が広がる。『魏志倭人伝』に出てくる「不彌国」は宇美町ではないかとする説が、定説かどうか知りませんが有力説であります。

また、『日本書紀』には第15代応神天皇が産まれた場所は「筑紫の蚊田」とあり、これも宇美町ではと一説にある。宇美の地名は昔は蚊田だったと。応神天皇を産んだから宇美になったと。本当かね?w

宇美町にある宇美八幡宮は、したがって応神生誕地として安産祈願の神社として多くの参拝者を集めています。

宇美八幡宮から帰ってから知ったのですが、糸島市にも宇美八幡宮という名前の神社がある。こっちの現在の住所名は福岡県糸島市川付というが、以前は筑前国怡土郡長野村蚊田だったとか。長野八幡宮と呼ばれていたが、いつ頃か宇美八幡宮に変えられた。

福岡県久留米市北野町にも蚊田という地名がある。筑後国御井郡賀駄郷。近くには名神大社・豊比咩神社の論社が幾つか。豊比咩(豊姫)は卑弥呼の後継ぎの薹與(台与、または壹與)か?

追記
福岡県小郡市八坂にある八坂若宮八幡神社も旧地名が賀駄らしく、蚊田の候補地の一つとか。
賀駄とは干潟のガタのことか?



さて、魏志倭人伝によると「不彌国」は「奴国」から東に100里いくとあるらしい(東行至不彌國百里)。
奴国は春日市の須玖岡本遺跡の周辺と考えられている説があるので、そこから宇美町宇美八幡宮までは東へ8.3キロ(by Googleマップ)。山の合間の複数の緩やかな坂を越えて。1里=0.06~0.1kmとして丁度良い距離にある。



魏志倭人伝』に登場するクニの幾つかは、どれくらいの家が建っているか書かれています。たとえば「邪馬台国」は「七万戸」、「伊都国」は「千余戸」「不彌国」は「千余家」。単位が「戸」と「家」と2つ出てくる。

魏志韓伝』の馬韓条には
「大國萬餘家 小國数千家 揔十餘萬戸」
とある。馬韓の大きな国では万余家、小国には数千家あって、合計で十余万戸ある、と。つまり1万数千家=十数万戸。戸数に換算すると10倍ほど膨れ上がるということか。

すると、「家」は「戸」が集まる集合住宅のような建物を示しているんだろうか。長屋のような。または中国のドーナツ型の家みたいな。三國時代の中国の家には2~3階建てのものもあったようだ。間借りか。

「不彌国」の「千余家」は「万余戸」に匹敵するか。「奴国」が「二万余戸」だから、その半分くらいの人口かな。平地はあるし川も宇美川や須恵川が流れていて飲料水確保・交通の便よし。「不彌国=宇美町」説は妥当かな。



次回、宇美八幡宮宇美町立歴史民俗資料館へつづく。